同級生に支えられた話し

受験は一人で戦わなくてもいい

「受験は自分との戦いである」

 

受験の季節になるとこの言葉をあらゆる受験サイトや予備校で目にする。

 

この“自分”とは2つの意味があると、自分が経験した後になって思う。

1つ目は、受験生である“自分”。

2つ目は、社会的動物である“自分”。

そして、それぞれの“負け”の意味も違うのではないかと考える。

1つ目の代償は、志望校。

2つ目の代償は…

 

友達。

私たちは、よく3人でいた。

中高一貫校で中学から知り合いではあったが、仲良くなったと言えるのは高校2年からだ。

そこからはクラス替えがなく、私たちは仲良し3人のまま高校3年になった。

 

指定校推薦の私。AO推薦のりん。一般受験のあや。

 

入試方法の違いなんて、些細なものだと思っていた。

受験後、あやに受験中の気持ちを聞かされるまでは。

あやの戦いは、私の想像を超えていた。

実際、あやが“自分との戦い”に負けてしまっていたら、私たちは仲良しではいられなくなっていただろう。

その年、大学推薦入学希望者は学年の9割だった。

 

ここで言う学年とは79人で、私の通っていた中高一貫校のいわゆる「一貫生」全体のことだ。

私たち中学からの「一貫生」と高校からの「一般生」は別クラスで、交流はあまり無かったからである。

 

9割というのも、大学提携により一貫生は推薦枠(23枠)を優先でもらえたことが大きかったのだろう。

前述した通り、そんな中あやは一般受験だった。

特に、私たちのいたB組の受験生は38人中あやを含めて3人だった。

指定校推薦とAO推薦は半々くらいで、夏に指定校推薦者がほぼ確定し、秋ごろにはAO推薦者も続々と合格していった。

 

高校3年の7月、

私は三者面談で「第一志望でいいよ」と言われた。

それは「第一志望の推薦者はあなたに決まった」と言われたと同然のことだった。

2人は驚き、喜んでくれた。

その一方、「推薦は羨ましい」「早く楽になりたい」「遊びたい」とも冗談ぽくこぼしていた。

私は「でもこれからも成績落とさないようにしないと」と、お互い勉強を頑張るような声かけをするくらいしかできなかった。

 

11月、

のんの合格が正式に決まった。

あんなに合格後に騒がないでほしい、などと推薦組に愚痴をこぼしていたのに、のんは遊びまくるようになった。

あやはのんを少し軽蔑した様だった。

ときどき、「のんこそ騒がないでほしいって言ってたのにね」と、愚痴をこぼしていた。

私は「そうだね」と相槌を打つことくらいしかできなかった。

 

 

1月、

3学期になった。

自由登校で、登校を義務付けられていた推薦組とは違い、一般受験のあやとはあまり会わなくなった。

ときどき登校しても、10分休憩は教科書を広げ、授業中は参考書を解き、休み時間は自習室に通っていた。

話しかけると返事はしてくれたが、話しかけてくれることは少なくなっていた。

それでもLINEでの連絡は変わらず取っていた。

のんは相変わらず教室で派手に騒いでいたが、あやはのんにも普通に接しているようだった。

 

3月、

卒業式。

私たちは最後の登校を一緒にした。

いつもの電車、他愛ない会話。

あやとのんも、一緒に笑っていた。

 

数週間後、あやも合格したとの連絡がきた。

 

 

あの受験期、あやがどの程度辛かったのか、私には想像することしかできない。

次々と合格していくクラスメイト。

自分だけが勉強漬けの毎日。

焦り、絶望、嫉妬、苛立ち。

しかし、受験後のあやは私にこう言ってくれた。

「支えてくれた友達がいたから友達を失わなかった」と。

確かに、あやからは受験期間中たくさんのLINEがきていた。

「辛い」「怖い」「自分が分からない」。

心の悲鳴とも取れる、悩みや愚痴がたくさん送られてきた。

私はひたすら傾聴し、励まし続けた。

だが、暗い話ばかりだったわけじゃない。

予備校でナンパされた、お父さんがこんなことしてた、面白い話を聞いた…。

そんな、ただの雑談もよくしていた。

私からしてみれば、普通の友達と変わらずに、日常の悩みや愚痴を聞きながら、他愛ない雑談をしていただけだ。

それを彼女は「支えてくれた」と言った。

彼女にしてみれば、遊びまくらないで以前と変わらなく過ごしている友達が側にいるだけで、一人ではない気がしたのだろう。

もしあの頃あやが周りが遊んでいる中勉強している自分に耐えられなくなり、そんな“自分”との戦いに負けてしまっていたら…。

きっと、私たちの友情は崩壊していただろう。

卒業して2年が経つが、私たちの友達関係は今でも続いている。

特にかつて危うい関係だったのんとあやは、趣味が合うこともあり週1で会っているという。

 

「受験は自分との戦いである」

この“自分”とは、自分を取り巻く環境も含まれる。

だが、考え方次第でそれは味方にも敵にもなり得る。

あやは、戦い相手の一部である“友人”を味方につけ、その戦いを乗り切った。

彼女は今、高校時代と大学の多くの友人に囲まれて、楽しい大学生活を送っている。

 

「自分」は、一人でなくてもいい。

「友人がいる自分」というステータスをつけて友人と一緒に戦ったっていい。

戦いの参加条件には「孤独」など、どこにも書いていないのだから。

 

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