私が高校受験をしたのは、もう40年以上前のこと。
「タラ・レバ」を言っても何も変わらないのは分かっていますが、昔を思い出すとどうしても思ってしまうことがあります。
田舎の高校受験事情
私はとある田舎に育ちました。
小学校のクラスは1クラス、中学も学年100人にも満たないような小さな中学です。
今でこそ、公立高校の学区制が緩和され、希望すれば学区外の高校に行くことも可能ですが、当時はまだ不可能で、当然、選べる高校も限られていました。
田舎のため、高校自体の数も少なく、大学進学を希望しているのか、就職を希望しているのかで必然的に高校が決まってきます。
普通科、農業科、工業科、家政科、商業科など、将来の進路と成績で志望校を決めます。
今は公立高校よりも人気のある私立進学校もありますが、当時、特に私の育った田舎では、私立高校は「公立の滑り止め」でしかなく、当然皆公立高校を受験していました
希望進路
私はというと、はっきりとした希望は決まってはいませんでしたが、とりあえず4年制大学への進学を希望していたため、高校は普通科を志望していました。
私の住んでいる地域には、普通科の公立高校が3校しかありませんでした。
その3校は、進学校であるA高校、進学と就職が半々のN高校、女子高のM高校で、偏差値はA高校が最も高く、N高校、M高校の順でした。
大学に行くとなると、最低でもN高校には入っておかないといけませんが、N高校でも大学へ進学する生徒は半分以下というのが現実でした。
中学の時の私の成績はというと「上の中」。
進学校であるA高校も余裕で入れる成績でした。
では私がA高校を志望したのかというとそうではありませんでした。
大学進学率
私の時代の大学進学率について説明しておきましょう。
当時は現在のように誰もが大学に行く時代ではありませんでした。
私の中学・高校の同級生も、4年生大学に進学した友人はわずかで、大半が高校を卒業すると、専門学校に進むか就職をしていました。
特にまだ男尊女卑の名残があった時代なので、女子で4年制大学に進むというのはかなり珍しいことでした。
はっきりとは憶えていませんが、中学の同級生で大学に進学したのは、全体の4分の1程度だったと思います。
ではなぜ私が4年制大学に進むつもりだったのかというと、それは私の生まれ育った環境によるものでした。
同窓の家族
家が農業を生業としている友人が多い中、私の実家はというと、曾祖父の時代から皆大卒であり、親戚一同、当たり前のように大学に行っているという、田舎では比較的エリートな一族でした。
そんな家庭環境で、両親には当然のように大学に行くものだと言われて育ちました。
女子は短大に行けばいいという考え方が当たり前の時代でしたが、私の両親は「短大なんか行っても仕方がない」という考えの持ち主でした。
5歳年上の姉は誰よりも優秀で、当たり前のように国立大学に進学していました。
そんなエリート思考の高い両親でしたが、高校に関しては、偏差値の高いA高校ではなく、2番目のN高校でいいという方針でした。
「勉強はやる気があればどんな学校でもできる」というのが両親の考え方だったからです。
しかも私の身内は、両親と姉はもとより親戚中がN高校の出身という、皆同じ高校の同窓生です。
父も母も姉も、N高校で何も困ることなく過ごしたためか、私の進路も特に話し合うこともなく、N高校というのは既定路線でした。
当の私も、それが当たり前と思っていたので、そのままN高校を受験することになりました。
中学での受験事情
私の志望校だったN高校は、バスで20分と家から最も近くにある高校で、A高校は電車で1時間かかる距離にありました。
当時、1時間もかけて遠くの高校へ行くよりも、近くの高校でよいという考え方が主流で、普通科志望の同級生は皆N高校を受験し、A高校を受験した友人は一人もいませんでした。
最終的には同級生の半分がN高校を受験しました。
私はというと、学校の成績も模試の成績も、N高校には余裕だったため、別段一生懸命受験勉強をするということはありませんでした。
唯一行った受験対策は、県立高校入試の過去問を解くことだけでした。
こうして私は難なく高校受験を突破。
同じ中学でN高校を受験した友人も、数名の補欠合格者はいましたが、全員無事に合格し、仲良く同じ高校へ進学することができました。
小さなプレッシャー
高校受験自体は難なく突破した私ですが、中学入学以来ずっと小さなプレッシャーを抱えていました。
それは優秀な姉の存在でした。
姉は中学時代常に学年トップでしたが、特に欲を出さずに高校はN高校へ進学、当然高校でもトップを取っていました。
そんな姉と同じ進路を進むというのは、多少なり私のプレッシャーになっていました。
中学の頃から、自分は姉のようにはなれないとあきらめていました。
高校に入ってからは勉強に目覚めますが、やはり姉のようなレベルにはなれませんでした。
N高校に進学し、自分なりに努力をして、現在薬剤師となっていますが、大半が大学に進学することになる環境で、受験のモチベーションを保つのは容易ではありませんでした。
おまけに高校卒業まで、常に優等生だった姉の影がついて回りました。
もしあの時、両親の言うことに従わずに、上のレベルの高校に行っていたら、私の将来はどう変わっていたのだろう。
「タラ・レバ」を言っても仕方がないのは分かっていますが、そう思ってしまうことは今でも時々あります。
そして、そんな自分と同じ思いをしないように、子供達には最高の環境を整えてあげたいと思っています。
raizu著
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