勉強嫌いだった中学時代

私は小さい頃から、それなりに勉強はできる子供だった。
けっして1番ではないので目立たなかったが、上の中程度の実力はあった。
そんな私も中学生になると反抗期を迎えた。
その頃の自分を振り返って、なぜそうだったのか考えてみるが、思春期によくある反抗というレベルだ。
基本的には「いい子ちゃん」だった私は、思い切り先生に反抗して怒られるのは怖かったので、授業をきちんと聞かないという程度の反抗期だったと思う。
それは明らかに成績が落ちる原因となった。
しかし自己中な中学生は、それを自分のせいではなく「先生の教え方が悪い」と思うことで自分をごまかしていた。
特に中学の数学は多くの子供が行き詰りやすい科目だが、ご多分にもれず私も数学が落ちこぼれかけていた。
学校の成績はかろうじて「中の上」レベルを保っていたが、学校以外にはまったく勉強をしていなかったので、成績は「右肩下がり」だった。
今思い起こしても、勉強が楽しいと思うことは全くなかったし、成績も「仕方ない」とあきらめていた。
そんな勉強嫌いで成績が落ちていた私に、ある時転機が訪れる。
近所のおばさん

私には、保育園の頃から毎日一緒に遊んでいた幼なじみで同級生のたかちゃんがいた。
家も近所で、親戚づきあいをする仲だった。
たかちゃんのお母さんは学校の先生をしていて、いつ遊びに行っても家にはいない、忙しい人だった。
そのいわば「近所のおばさん」が、中学3年になる年、私の学校に赴任してきた。
教師はもし自分の子供がその学校にいた場合、子供のクラスは受け持つことができないのだが、知り合いの子供というだけなら別に受け持つことは可能だ。
その時たかちゃんと私は別のクラスだったため、おばさんは私のクラスの数学を担当することになった。
その時から「近所のおばさん」は「先生」に変わった。
私の小さい頃は、親の知り合いや近所の知り合いが学校の先生として赴任してくるのは珍しいことではなかった。
実際、小学校の時の教頭先生は、2件隣のお寺の住職さんで、小さい頃から習字を習っていた先生だったし、小学校3、4年の担任は遠縁のおばさんだった。
だから別段「近所のおばさん」が数学を教えに来ることになっても気になることはなかった。
毎日指される!

こうして「近所のおばさん」に数学を教わることになったのだが、問題はその頃数学が難しくなって、成績が下がりかけていたということだった。
小学校の時に遠縁のおばさんが担任になり、学校のすべてが親に筒抜けになったという経験があった。
算数の成績が落ち始めた頃、こっそりとそのことが親に伝わり、毎日決められた量の計算問題をこなさなければ遊びに行かせてもらえないということもあった。
「今回は手を抜けない」。
中学生ながらそう思った。
そうして授業がスタート。
先生は最初の授業でまず私を指してきた。
そしてそれは毎日続いた。
「ほかの子の名前覚えるまで、毎日指すからね!」
先生は軽くそう言った。
私は青くなった。
「テストで点数が取れないだけならまだしも、毎日指されてクラスメートの前で恥をかくの??いやだー!」
焦った私はそれから毎日、数学だけはしっかりと予習・復習をするようになった。
小学校の頃から考えても、宿題以外の勉強を家でやったのはこの時が初めてだった。
小学校入学の時に買ってもらった学習机が、8年たって初めて使われたのだ。
いつの間にか得意科目

もともと小学校までは算数が得意だった私は、毎日の予習・復習の成果で、どんどん数学の成績が伸びていった。
2年生までは「中の上」だった成績も、数学の成績に比例して学年10番以内に入るほどに伸びていった。
数学に至っては、ほぼ学年トップを取るようになっていた。
そして、別段好きな勉強などなかった私はいつの間にか数学が大好きになっていた。
それまでは「自分なんてこの程度なんだ」と思ってあきらめてしまっていたが、「やればできる!」と思えるようになっていった。
あの時「近所のおばさん」が赴任してきて、毎日のように指されなければ、きっと私は落ちこぼれていただろう。
おかげで高校受験も苦労することなく志望校に合格、高校時代も数学は誰にも負けることはなかった。
そしてこの時につけた数学の力で大学受験も乗り切った。
今の私があるのは「先生」の存在があったからこそといっても過言ではない。
中学を卒業し、教師と教え子の関係ではなくなったが、私にとってはもう、「近所のおばさん」ではなく「先生」、まさに私の人生を救ってくれた「恩師」だと思っている。
opeku著
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