憧れの高校を仲間のために諦めた話し

初めて訪れた人生の岐路、仲間と一緒に向かった青春

多くの学生が初めて自分自身で進路を決めて、受験するということを経験することになるのは中学3年生だろう。

小中学校までは、自分で選んで進学するということはほとんどなくて、ある種エスカレーター式に自分の行き先が決まるのではないかと思う。

対して、中学3年になると自分自身で進学先を決めることになる。

将来を見越して大学進学に力を入れる学校に行く人もいれば、部活動に打ち込むために強豪校へ、もしくは高校卒業後に就職を見越して技術をつけるために工業高校等へ進学を希望する人もいることだろう。

つまり、多くの人にとって初めて訪れる人生の分岐点という風に言えるかもしれない。

中学3年生の僕は、まさに人生の分岐点に立っていた。

強豪校からのスカウト

その日、僕は校長室にいた。

自分の隣には、母と担任の先生、部活動の顧問が座っていて、目の前には憧れの高校の監督とコーチが座っている。

話が始まって1時間くらいが経過しただろうか、正直メンバーがメンバーだけに緊張して話の内容は全く入ってこなかったし、時間の感覚なんて失っていた。

唯一覚えているのは、憧れの高校の監督が言った

「彼をウチの高校の選手として獲得して、インターハイ出場を目指したい!」

という一言とずっと不安そうな顔をしている母親の顔のみ。

僕は小学校から剣道に打ち込んできた。

自分自身もスポーツマンだった母親はかなりのスパルタでどれだけ熱が出ようが部活動を休むなんてありえない、という教育方針。

自分の中で部活動を母親の文句なしで休めたのは、祖父が亡くなった時くらい。

生活すらままならない骨折をした当日ですら、部活を休ませない、つもりでいたらしいがそれは病院の先生に止められていたほど。

おかげで小学校、中学校ともに所属するチームのキャプテンとして全国大会へ出場することができた。

ただ、もちろんそんな母親だから試合で優勝しようが褒められた記憶なんてない。

その母親が話を聞きながら、不安そうな顔をしているのがなんだかとても不思議で強く印象に残っている。

僕はこの後ありがたいことに他の強豪からもスカウトのお話をもらった。

どちらも受験は必要なくて、入学を決めてくれれば学費もタダ、という高待遇の内容だった。

母の想い

僕がお話をもらった強豪校は毎年のように県大会の決勝に上がるようなチームだった。

つまり、自分がインターハイを目標とするのであれば、その学校に入ることで目標達成の確率は大きく上がる。

僕がすぐに答えを出せなかった理由は小中学校で一緒にやってきたメンバーの存在。

彼らは、全員が地元の同じ高校への進学を決めていた。

僕もその1人だった。

僕たちが話していたことは、自分たちの代で県の強豪校を倒してインターハイに出場すること。

自分が強豪校へ行くことで、今までの仲間はライバルとなるし、何よりこうして約束したことに対する裏切りになるような気がしていた。

僕の母親は、また別に一つの想いを抱えていた。

母はずっとバスケットをやっていて、中学校の時に自分と同じように強豪校からのスカウトを受けていた。

その強豪校に入学した母だったが、高校2年生の時に両膝に怪我を負い、3年間で3回の手術を受けていた。

なんとか最後の大会には出場できたものの強豪校の辛さや大変さは誰よりも知っていた。

僕自身も中学3年の4月に骨折して、最後の大会に出れるかどうか微妙な状態からなんとか間に合わせて出場した。

僕は大学進学を中学の段階から考えていたので、もし強豪校へ進学して同じように怪我をした場合の不安もあった。

正直、勉強というよりかは部活漬けの毎日となる。

もし、スポーツで結果を残せなければ、進学をすることはできないだろう。

決断

その年の冬、僕は受験勉強を必死でやっていた。

強豪校からのスカウトは断って。

もちろん、せっかくもらったお話だし、強豪校への進学をすることでこれまでライバルだった選手たちとチームメイトになり全国を目指す、ということもかなり魅力的な挑戦だった。

しかし、それよりも魅力的に思えたのは、県内や県外の強い選手の寄せ集めとなる強豪校にこれまで一緒にやってきた仲間と勝って全国を目指すことだった。

高校3年の最後の大会。

結果、僕は高校では全国大会に出場することはできなかった。

僕たちが負けたチームは、僕が断った強豪校だ。

めちゃくちゃ悔しかったし、高校生活で一番泣いた出来事だった。

だけど、そこにはこれっぽっちも後悔なんてなくて、やり切ったという爽快感だった。

強豪校への入学で全国大会出場の目標は叶えることができたかもしれない。

地元の高校への入学を選んだ僕は結果的にはその目標を叶えることはできなかった。

でも、その決断を当時も今も不正解だったとは思っていない。

そのためにやれることはやったし、できる努力は精一杯やった。

最後に

今、進路について迷っている人はたくさんいると思う。

多くの人が、選択肢で迷った時にどちらが正解なのか、という視点で道を選ぶと思う。

僕が思うことは、どちらの道も正解にもなるし、不正解にもなる、ということ。

つまり、選択肢に意味はなくて自分が選んだ選択肢を正解にしていく、ということが大事なんだと思う。

ただ、僕の意見すら正解かは分からない。

誰の意見を参考にするのも自由。

ただ、何か一つのきっかけになれば嬉しいと思う

 

o654wregasp著

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