念願の吹奏楽部

私は小さい頃から音楽が大好きな子供でした。
3歳くらいの時からピアノを習い、ひらがなより先に音符の読み方を覚えたほど。
そんな私が初めて吹奏楽に出会ったのは小学校五年生の頃。
家の近所の夏祭りで参加していた中学生の吹奏楽部を見た時でした。
夕暮れにスポットライトを浴びながら演奏するお姉さんたち。
楽器をキラキラ輝かせて観客を魅了する姿を見て、
「私も中学生になったら吹奏楽部に入る!」
と心に決めていました。
中学生になると、私は決めていた通り吹奏楽部へ入部しました。
今までピアノやリコーダーしかまともに楽器を演奏したことがなかった私にとって、吹奏楽で触れる楽器はどれも新鮮でした。
一通りの楽器を触らせてもらい、私は初めて夏祭りで目にして以来ずっと気になっていたクラリネットを担当することになりました。

吹奏楽部は文化部ですが、世間の噂通り中身は運動部と変わりありません。
部活の時間になるとまず始めるのが腹筋100回!
それが終われば背筋100回!
やっと楽器が触れるかと思えば、そのまま校外3周ランニング!
ハーハー息切れしながらランニングが終わった頃に、やっと楽器に触らせてもらうことができました。
夏祭りで初めて見たあのキラキラした吹奏楽部は、私が予想していた以上に過酷なものでした。
それでも私は音楽が大好きだったため、いくら辛いことがあってもそれをバネにし、やりがいのある毎日を送っていました。
勉強も大切

中学生になってから新しく始めたのは部活動だけではありません。
もちろんですが、学生にとって一番重要なのは学業。
いつもそこそこの成績は取れていましたが、決して勉強が得意というタイプではありませんでした。
小学生までなら、宿題をやる程度でも授業についていくくらいなら問題なくできました。
しかし中学生ともなると、やはり違ってきます。
勉強の難易度も上がり、少し成績も下がり気味に……。
私の親は私に「進学校へ行ってほしい。」と常に言っていました。
そこで私は両親の勧めもあり、近所の進学塾へ通うことになったのです。
難しい両立

中学から始まったこの勉強と部活の両立は、なかなかハードなものになりました。
朝は8時に家を出て、部活が終われば家へは帰らず塾へ直行。
塾から帰ってくるのは夜の11半を過ぎてから。
休みの日は月に1回あればいい方、という生活が3年間続きました。
1,2年生の頃はそれでも何とか体力は保ちました。
しかし、3年生にもなるとさすがに睡眠不足と受験前ストレスで体調も崩しがちになってしまったのです。
見かねた母親と塾の先生が、
「もう部活は辞めなさい。」
と忠告してきました。
しかし正直なところ、私が辞めたかったのは塾のほうでした。
どれだけ大変でも私が頑張れたのは、大好きな音楽、吹奏楽が支えになっていたからこそでした。
それをもし辞めてしまったら心の支えが無くなってしまい、一瞬で崩れてしまうような気がしてならなかったのです。
そして3年生にもなると、吹奏楽での役割も当然大きなものになります。
私は秋のコンクールでのソロ演奏を任されていたため、簡単に辞めることができませんでした。
私は「部活は辞めるべき!」という親や塾の先生の意見と、「部活に専念すべき!」という顧問の先生の意見と自分の意志で葛藤することになりました。
二頭追うものは……

結局私は部活は辞めず、そして塾も辞めず、両方を続けることにしました。
しかしそれでは私の体調も良くなるはずがありません。
次第に学校の勉強にも影響が出てきて、受験前なのにどんどん成績が下がっていってしまいました。
「このままじゃ志望している高校には到底受からない。」
担任にそう言われる前から、自分でも分かっていました。
それならば、もっと余裕をもって合格できそうな高校にしようと思い、私は自分が志望していた高校を諦め、2つランクを落とした高校を受験することにしました。
結果は合格。
しかし、私は何も嬉しくありませんでした。
合格した高校にも吹奏楽部はありましたが私は入りませんでした。
すでに中学の3年間で疲れ果てた私は、また3年間同じことを繰り返したら今度は確実に壊れると思い、最初から入らない選択をしました。
しかしこれが悪かったのか、音楽という心の支えが無くなった私が壊れるのは思ったよりも早く、1年生の終わりには学校へ行くのも辛くなり、結局定時制高校へ転校することになりました。
何事もほどほどにしなければ、両方を失うことになる。
今までの人生で学んだ、一番の教訓になった出来事でした。
tarou著
因数分解の動画