中学の頃

僕は小さな田舎町に育った。
僕の中学から進学できる公立高校は1つしかない。
他の高校に進学する場合は、寮に入るなど、親と離れて生活するようになる。
当然僕は地元の高校に行くものだと思っていた。
中学3年になると、進路を決めなくてはならない。
学校では、いくつかの私立高校説明会があった。
僕の母は、以前から地元の公立ではなく、レベルの高い私立を薦めていた。
でも僕の学力ではとても無理だし、友達のほとんどが行く公立高校に進むつもりだった。
そんな僕も、いくつかの学校説明を聞く中で、一つだけ気になる学校があった。
その学校は、普通科、福祉科、看護科などがある高校だった。
父方の叔母2人は看護師だし、祖母は病院で看護助手をしていた。
そんな家庭環境もあって、僕はその高校の看護科に興味を持った。
看護科のある高校

普通、看護師になろうとしたら、高校を卒業後に看護学校に3年通うか、大学の看護学部で4年勉強してようやく国家試験が受けられる。
つまり中学を卒業してから最低でも6年はかかる。
しかし、その高校の看護科で勉強すれば、5年で国家試験の受験資格が得られる。
国家試験を合格すれば、20歳で正看護師として働くことができるのだ。
看護師としての基礎と普通の高校の勉強を3年間、その後2年で専門的な勉強をする。
通常6年から7年かかる勉強を5年でやるのだから、そのカリキュラムはとても厳しいことは想像できた。
しかしそれ以外にも、その高校には魅力があった。
それは、奨学金をもらえるということだ。
普通「奨学金」といえば、成績優秀者でなければもらえないとか、将来返済義務があったりするものなのだが、その高校の奨学金は少し違っていた。
その奨学金は、「病院奨学金」と呼ばれるものだった。
「無事看護師に慣れたときは、その病院で働く」という条件で、学費のすべてを出してもらえるというものだ。
授業料から修学旅行代、寮費まで、毎月の小遣い以外はすべて出してもらえる。
寮に入らなければ3年、寮に入ると5年の「お礼奉公」が必要になってくる。
僕の場合は寮に入らなくてはいけなかったので、5年の条件だった。
しかし、親に経済的な負担をかけることなく看護師になることができる。
そんなシステムにも魅力を感じで、その高校に行きたいと思った。
親は普通科の高校に行くものだと思っていたようだが、僕の決心を聞いて応援すると言ってくれた。
中学の成績

志望校を決めた僕だが、最大の問題は学力だった。
当時の僕の成績は、学校でも中間より少し下。
その高校にはとても入れるものではなかった。
「推薦入試はダメなの?」
母がそう言ってきた。
中学での僕は、成績もそれほど良くなく、運動ができるわけでもない。
推薦といえば「何か秀でるものがないと」とは思ったのだが、とりあえず担任に相談してみた。
担任からは、生徒会活動をしている訳でもなく、部活で優秀な成績を残しているわけでもなく、推薦するための「何か」がないため無理だろうと言われた。
そのことを母に伝えると、
「でもあなたは小さい頃からずっと『合気道』を続けているし、英会話だって続けてきた。何かをずっと続けてきた継続力があるじゃない?それで自己推薦書を書いてみたら?」
と言ってくれた。
母の言葉を参考に自己推薦書を作り、担任に推薦してもらえないかお願いした。
担任からは、一応職員会議にかけてくれるという答えをもらった。
母と一緒に考えた自己推薦書が功を奏して、僕は学校から推薦してもらえることになった。
推薦といっても、一般試験よりも有利というだけで、学科試験もあった。
試験であまりにひどい成績であれば落とされる。
その後は学科試験に向けて勉強の日々だった。
受験本番

専門課程のある学科が多いその学校は、遠方からの入学者も多く、入学試験はいろいろな場所で行われる。
僕も地元の試験会場を利用して受験した。
試験の内容はあまりよく覚えていなかったが、『余裕』ではなかったことだけは覚えている。
学科試験と面接試験。
今までに経験したことのないような緊張だった。
もしこの高校に受かれば、親に迷惑かけることもなく、卒業すれば看護師になって仕事にも困らない。
とにかく僕の学力では一般入試で受かるはずのないレベルの高校だ。
推薦に賭けるしかなかった。
とにかく精いっぱいのことをやった。
合格は勝ち取れるか?

合格発表は1週間後に中学に届くことになっていた。
両親は「ダメなら地元の高校に行けばいいよ」と慰めてくれたが、僕の心は落ち着かなかった。
普通の学校生活を送りながらも、落ち着かない1週間が過ぎていった。
合格発表の日、僕は担任に呼び出された。
校長室で、校長先生から結果を知らされる。
「合格です。」
初めはよく理解できなかった。
何度か頭の中で校長先生の言葉を繰り返した。
「やった!」
思わずガッツポーズをした。
担任の先生が、母に連絡を入れてくれることになった。
母は仕事中だったが、連絡を待っていたそうだ。
担任が母に結果を伝えると、電話をかわってくれた。
「よかったね。やったね。」
電話口で母はそう言って喜んでくれた。
家に帰ると、母が喜んで抱き着いてきた。
「良かった。本当に良かった。」
涙を流して喜んでくれた。
こうして僕は志望校に合格した。
幸い無事に病院奨学金をもらうことができ、学費はほとんどかけずに卒業する事が出来た。
偏差値自体はそれ程高い高校ではないが、僕にとってはとてもレベルの高い学校だ。
入学後の勉強はもちろんだが、親元を離れての寮生活も大変だった。
しかし、どうにか留年もすることなく、国家試験も合格できた。
無事看護師となって卒業し、約束通りに奨学金をもらっていた病院に就職。
まもなく5年を迎え、ようやくお礼奉公が終わろうとしている。
wingral著
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