筆者は北海道出身の現在31歳。男性である。
父は会社員、母は専業主婦の極々一般的な家庭で生まれるも9歳の時に両親が離婚。
母方の実家で祖父母と同居する事になる。
祖父母とはあまり気が合わないと感じたが、かと言って大きなトラブルもなくそれなりに普通に暮らしていた。
中学校3年生になった時、将来の夢や就きたい職業も特に無かった私は、就職に困らないからと母に地元の工業高校を勧められ、確かなんの抵抗も無く受け入れたはずだ。
”確か”というのはあまりにも自分の進路に興味が無かった為、記憶が薄いのだ。
唯一鮮明に覚えている事は、母から工業高校を勧められた後、私の当時の学力だと、工業高校は推薦で入れると担任から言われたので「受験勉強をしなくて済む。なんてラッキーなんだろう」と思った事だ。
というわけで、30分程度の面接を受け特に何の苦労もせずに私は工業高校に入学した。
工業高校に入学して1か月程経った事、私は同級生と上級生に同時に目を付けられてしまう。
髪を染めていたことが原因だった。
その後は同級生と上級生に怯えながら1年半過ごすも、高校二年生の夏休みに限界を迎える。
私は母に学校を辞めたいと伝え、休み明けに高校に行くことは無かった。
「高認」という試験がある事を知った私は、とりあえずそれを受けようと思った。
「高認」とは「高校卒業程度認定試験」の事で、試験に合格すると大学や専門学校の受験資格が得られる。
いうなれば試験で高卒の資格が取れるのだ。
試験は全14科目の中から、最小8科目、最大10科目を受験する事になり、絶対に受けなければいけない必修科目が、国語・英語・数学・世界史の4科目、残りの4~6科目を選択科目の10科目の中から選ぶ。
10科目は地理歴史の中で、日本史A、B・地理A、B・の内1科目。
公民の中で、現代社会・倫理・政治経済の内、現代社会を選択する場合は1科目、選択しない場合は倫理・政治経済を2科目受けなければいけない。
理科が少し複雑で、科学と人間生活・物理基礎・化学基礎・生物基礎・地学基礎、この中から2科目もしくは3科目受ける事になるのだが、科学と人間生活の1科目と物理基礎・化学基礎・生物基礎の内、1科目の受験で合計2科目。
もしくは、物理基礎・化学基礎・生物基礎・地学基礎の内3科目を受験。
前述の通り最小8科目、最大10科目の受験が必要となる。
合格点は正式な公表は無いようだが、各科目100点満点中40点程度が合格と推定されている。
私はなるべく少ない科目で受験したいと考えた事と、なんとなく自分が得意そうな科目という理由で必修科目の国語・英語・数学・世界史の他、地理A・現代社会・化学と人間生活・生物基礎の8科目で受験する事とした。
勉強期間は3ヶ月程しか無く、今までまともに勉強をした事がなかった私は効率の良い勉強方法もわからなかったのだが、とりあえずひたすら過去問題を解く事にし、結局試験当日までそれしかやらなかった。
私は北海道の中でも東の方に住んでおり、試験会場の札幌まで電車で6時間程かかる場所に住んでいた為、試験前日には移動したが、不安で一睡も出来なかった。
試験会場には100名程度は受験生がいたと思う。
自分と同じ境遇の人がこんなに沢山いるのかと思うと、少し気持ちが落ち着いた。
試験が終わり電車で自宅に戻った翌日、自己採点をした。
自己採点の結果45点前後の教科が何教科かあったので、結果が来るまで凄く不安だった。
確実に落ちている点数であればもう少し気が楽だったのだが、どちらかわからないような点数だった為だ。
約一か月後、郵送にて結果が届いた。
結果は全教科合格。
母は涙を浮かべながら喜んでくれたし、自分自身も感じた事の無い達成感があった。
何かで頑張って結果が残ると、自分も嬉しいし周りもこんなに喜んでくれるんだと、17歳にして初めて知った。
今でこそ人に評価されたい、喜ばせたいという感情は人並みになるが、思えばこの出来事がキッカケだったのだろう。
無事に高校卒業と同等程度の学力が有り、専門学校や、大学受験の資格も得られた事になる。
その後私は2年制の専門学校に進学する。
事務やサービス系の資格が沢山取得出来る専門学校だったのだが、就職に有利になったり、役に立つというよりは合格した時の達成感を味わいたくて資格取得に勤しんでいた。
卒業後何社か勤務した後に、小さな通信会社を立ち上げ、経営者として働いている。
mu091124著
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