
2020年度から小学校での英語学習が必須化されました
他にも近いところでは武道やダンスの必須化など、教育内容も近年様々な改革が試みられています。
これらは、学習指導要領の改訂・変更などに基づき行われており、内容によっては受験に大きな影響も与えてきました。
そんな中で私たちが、それらを決める人たちの、浅はかな思い付きのような政策に翻弄されてきた経験を紹介します。
新しい教科

私たちの世代は大幅な学習指導要領の変更があり、中学の頃から新しい教科・今までと違う教育方法など、前年までとは大きく変わった年でした。
覚えているだけで、中学では地理と歴史が別々の教科になったり、政治経済が公民になるなど。
高校では、数Ⅰ・数学Ⅱを細分化した基礎解析・代数幾何・確率統計。政治・経済が現代社会、倫理・社会が倫理、地理A・地理Bが地理に。現代国語という教科や、理科に関しても理科Ⅰという教科ができて、受験に関わる主要な教科だけでもこれだけ多くの変更がありました。(かなり昔の事なので正確かどうかはわかりません)
当然教える先生の方も初めての教科なので、自信をもってというよりも手探り状態という印象でした。
教科によっては、一年間私がとったノートを参考にして次の年からの授業を行っていた先生もいました。
そんな内容もはっきりしない学習をしてきた世代と、従来の体系化された学習をしてきた世代が、教科は違えど点数だけで評価される同じ受験をすることになるのです。
初めての試験だから基本的な事だけ覚えておけば出来るのではないか、という人もいました。ただ基本だけでは点数は取れません。
傾向と対策の中から勉強法を見つけていく事も出来ずに、何を学んでいけばいいのかわからない不安の中、覚えることだけが増えていってしまいました。
実験の世代?

今までも学習指導要領の見直しや、新しい教科の導入も行われてきたはずですが、この年に関してはかなり大幅な変更が行われたのではないかと思います。
偶然その様な時期が重なったとも考えられますが、私たちの世代は他の世代とは違い、少し特殊なところがありました。関係ないとは思うのですが、その特殊な事案がこの大幅な変更に結びついているのではと思ってしまう時がありました。
私たちの世代はいわゆる丙午(ひのえうま)の年でした。
丙午とは、60ある干支の組み合わせのうちの一つです。その年に生まれた女性は気性が荒く夫を不幸にする、と言い伝えられていました。
実際には根拠はないのですが、ベビーブームのこの時代に出生率が前年比25%も減少しており、根強く迷信が残っていたといえます。
「人が少なければ何かを試して失敗しても影響は少ない」そのような考えのもと、この世代に様々な試みが実験的に行われていたのではないか、と疑われても仕方がない事柄が非常に多かったことは確かです。
ある都市では、高校の入試が3科目から5科目になったり、またある都市では、受験評価の対象になるような模試の開催月が変更される、(翌年には通年通りに変更)などといった試みが多々行われていました。
肝心な大学入試に関しても、初年度こそ必須問題として扱われていた現代社会・理科Ⅰでしたが、翌年からはほとんどの国公立大学が受験科目から除外していきました。
また受験科目の減少から選択科目の一つとなると、大学入試に不要な科目として扱われるようになり、別科目に置き換える高校が続出していきました。
その結果教科開始後わずか2年で事実上受験科目から外されることになりました。
自分から学んでいるつもりでも

ある方の政権の時に道徳が教科化されました。教科化されるということは成績として評価されるということです。(評価方法は数値式ではなく記述式だったそうです)
それに対し「特定の価値観(愛国心など)が押し付けられるのではないか」といった懸念が出ていたそうです。
また、詰め込み教育からの脱却を図った「ゆとり教育」も、学力の低下が問題視され、わずか6年で方針の転換を余儀なくされました。
私たちが学んできたこと、今学生たちが学んでいることは、その場にいる人にとっては自分たちの意志でやっていると思いがちです。
ただそこには第三者の思惑や都合が盛り込まれている可能性があり、学ばされているという要素があるかもしれない、ということを意識しなければいけないと思います。
学校で学んだことは無駄な事ではないと思います。ただその時学んだことが全て正しいとは限りません。様々な思惑に惑わされず、その時々で正しいと思うことを自分で考えて見つけていく事が大切だと思います。
Hweiog著
因数分解の動画