中学の頃

僕は今高校1年生だ。
中学からは私立の中高一貫校に通っている。
当然、高校は中学からのエスカレーターなので、普通の受験生のような勉強は必要なかった。
そんなこともあり、中学の頃は中高一貫教育にありがちな中だるみの状態に陥った。
中学に入学した頃は、中の上の成績だった。
初めは優等生の友人とつるんでいたこともあり、成績はまずまずの状態だった。
そんな状態が変わったのは、中学2年の夏ごろからだ。
その頃僕は、周りの友達とうまくいっていなかった。
きっかけは仲の良かった友達がいきなり僕のことを無視するようになったことだ。
初めは何が何だかわからなかった。
それまでいつも一緒にいたのに、いきなり無視をされ、さらには他の友達も巻き込んで僕を無視するようになったのだ。
僕はクラスで孤立した。
クラスで僕と普通に接してくれるのは1人しかいなかった。
なぜそうなったのか、本人に聞いてみたが、「自分で考えろ」と言われるだけだった。
他のクラスの友人に原因を探ってもらうように頼むと、僕が陰でその友人の悪口を言っていたからだというのだ。
僕にはまったく覚えがなかった。
でも僕が何か言ったことが原因だというのだから、僕は彼に謝った。
他の友人にも謝った。
「これからは気をつけるから許してくれ」
何人かはその後また以前のように付き合ってくれるようになったが、完全に以前のようには戻らなかった。
成績

この事で僕は勉強に集中できなくなった。
授業はもちろんだが、家庭学習も集中できない。
自然と成績は落ちていった。
その頃は、孤独になるのが嫌で、一緒にいられる友達ならだれでも仲良くした。
周りに気に入られるようにお調子者を装った。
当然お調子者にはお調子者がついてくる。
学校ではふざけることが多くなり、先生にも怒られることが多くなった。
でも僕はそれを自分のせいではなく人のせいにしていた。
成績はどんどん落ちていく。
家では母が必要以上に心配してくるのも鬱陶しかった。
「放っておいてほしい」
内心そう思っていた。
3年生になる前に、コロナで学校が休校になった。
僕はその間に友達との仲を元に戻そうと、同級生のやっているオンラインゲームの仲間に入った。
しかしそこでもトラブルがあった。
何もしていないのに仲間外れにされたのだ。
学校が再開されることになっても、僕はもう学校に戻りたくなかった。
半べそをかきながら「もう嫌だ」と母に愚痴を言った。
「地元の中学に転校することは出来るけど、それは同じことの繰り返しだよ。とりあえず学校に一度は行ってごらん」
母にそう言われて、恐る恐る学校に行った。
しかし予想に反して新しいクラスは楽しかった。
僕のことを仲間外れにしていた子とは別のクラスになったのだ。
しかし新しいクラスで仲が良かった仲間は、比較的問題児ばかりだった。
授業中に喋ってきたり、休み時間も大騒ぎをする。
そんな連中だったが、仲間外れになるのが怖かった僕はその仲間に影響されて騒ぐようになった。
進級テスト

僕の学校は中高一貫の学校ではあったが、高校になると内部生よりも外部性が多くなる。
多くの公立中学出身者との学力差を図るために、内部進学性の僕たちも、外部生と同じ入学試験を受けなくてはいけない。
落ちることは絶対にないが、成績が悪ければクラス分けで上のクラスに行けなくなる。
中学2年と3年であまり授業に集中できず、友達関係が影響して成績もどん底まで下がっていた僕は、そんなことを考えている余裕などなかった。
幸い学校から親に連絡が行くほど悪いことはしていなかったので、親は僕の現状を把握してはいなかった。
そんな進学テストがあと1ケ月と迫った12月、学校では担任と保護者の2者面談があった。
その2者面談の後、母親がいきなり泣きながら怒ってきた。
「あなたは学校でいったい何をしているの?」
母親があんなに泣きながら怒ってきたのは初めてだった。
2者面談で担任から、僕の授業態度について何か言われたらしい。
確かにその頃の僕は、クラスの中でもうるさいグループにいた。
そのことを母には話していたが、「僕はその中でも静かな方だよ」と言っていた。
だが担任から聞いた話は母の予想の上を行っていたのだ。
自分が予想していた以上に学校での態度が悪いという評価だったことが、母にとってはとてもショックだったようだ。
「なんでこんなになっちゃったの?そんなんで高校いってもついていけないよ?」
今までになく怒る母に僕も切れた。
「分かったよ!もう友達に無視されてもいいよ。友達いないのはさみしいけど、ママがそんなに泣くならもう友達は切るよ」
僕は怒りに任せて怒鳴った。
親に怒鳴ったのは初めてだった。
隣で聞いていた姉が目を丸めて僕を見ていた。
それからの1ケ月、間に合うはずもないがとりあえず進学テストの勉強をした。
数学は何とかなりそうだが、国語と英語はどうしようもなかった。
しかもその頃は、親に「やる」といった手前頑張っているふりはしたが、まだまだ本気ではなかったし、勉強は正直嫌いだった。
テストの結果は案の定だった。
当然だ。
周りに影響され、さんざんサボっていて、1ヶ月くらい頑張ったところで、入試はそれ程甘くない。
当然僕は特進クラスには入れず、一般クラスだった。
高校入学

高校に入学すると3分の1は特進クラス、残りの7割は一般クラスだ。
入学の日、発表されたクラスには中等部からの内部進学生は10人くらいずつに分けられていた。
幸い中学の時から仲の良かった友達が一人同じクラスだったが、僕はそのクラスがあまり好きになれなかった。
人見知りのある僕は、外部生となかなか仲良くなれなかったのだ。
しかしそれに反して、高校に入ってからは勉強がとても面白くなった。
もちろん苦手な科目はあるが、勉強が楽しいと思うようになった。
部活動もバスケ部に入り、その仲間との練習も楽しかった。
塾にも友達が多く、毎日塾に行くことが楽しくなった。
成績はまだまだだが、来年にはまたクラス替えがあり、僕も特進クラスに入れるチャンスがある。
僕には行きたい大学と、なりたいものが決まっている。
そのためにも上のクラスに入りたい。
今の僕の目標は3年までに特進クラスに入ること。
そのためにも、得意科目は今以上、苦手科目も平均点が取れるくらいにはなれるように、日々頑張っている。
クラスメートとも最近はだいぶ馴染んできて、学校の生活は中学の時の地獄に比べるととても楽しい。
このまま勉強も部活も頑張って、目標を達成するのが今の僕の目標だ。
そのためには、中学の時のように、周りの友達の悪いところに影響されないように、しっかりと自分で見極めていかなくてはと思っている。
hsfl著
因数分解の動画