受験は人生の中でも重要なイベントの一つです。早い人は幼稚園に入るところから始まっている人もいます。
将来のためにもここでの選択を間違ってはいけない!そう思っている人も多くいるのではないでしょうか。
私自身も様々な選択をしてきました。そこで感じてきたことや学んだことを紹介していきたいと思います。
高校受験

私が高校を受験をしたころは、今のような個性的な特徴のある私立高校は少なく、公立高校が第一志望。有名高校以外の私立高校は滑り止めくらいの感覚でした。
私の学校も例外ではなく、友達のほとんどが公立高校が第一志望でした。
私はその頃理系、それも天体・気象に興味があり(その頃はまだ気象予報士という資格はありませんでした)、漠然とそう言うものにひかれていました。
私の初めての志望理由はそんな単純なものでした。
志望校を決めるときにそんな学校がないか探していると、大学に宇宙系の学部があるところを見つけました。そこの付属高校を調べると、大学への推薦率が8割以上ある学校がありました。自分の偏差値と比べると少し高かったのですが、そこを第一志望にし勉強を始めました。
幸いその学校に無事合格し、校内の成績も、希望の学部に行けるだけの水準を保つことができていました。
他大学

高校生活も半ばころになったころ、私の考えの浅はかさがその先の進路を決めるにあたり、大きな悩みとしてのしかかってきました。
私の希望する学部で学ぶ宇宙というものと、自分が本当に求めていた宇宙というものの違いに、違和感を感じるようになってきました。ただその時点では、自分が言い出したことを否定や変更することに対して、恐怖感に近いものを感じていました。
このまま変わらず高校生活を過ごし、推薦を受け、希望の学部に行っていいものか悩んでいるときに、同じクラスの友達が、他の大学を受けてみようと思うという話をしてきました。
その頃私も、小学校の頃からの夢だった学校の先生、それも小学校の先生になりたいという気持ちが大きくなってきていました。
付属高校は一般の高校と違い、受験勉強に対するカリキュラムは組んでいないところがほとんどです。まして自分が受けようとしている所は国立大学なので、共通一次試験に対しての勉強と、二次試験に向けた勉強をしていかなければなりませんでした。
それでも私は違和感を持ったままの推薦よりも、その時本当にやりたいと思った教師になる道を選び、高校2年の夏から他大学に向けて受験勉強を開始しました。
行きたいところ・行けるところ

一般高校との一年半の学力の差はやはり大きく、その年の合格はなりませんでした。浪人後の成績も思ったように伸びず、模試などの志望校判定は、とても受かるとはいいがたい成績が続きました。
受験の季節になり願書を出す時期になりました。合否判定は相変わらず厳しかったので、いくつかの滑り止めの学校を選ばなければなりなせんでした。
私立の学校にも小学校教員資格を取れるところはありましたが、高い確率で合格を狙えるとはいえないような成績でした。
志望校には行きたいが今年受からないわけにはいかない。親にまた迷惑をかけるわけにはいかない。様々な思いが頭に浮かび、受験をする意味が「行きたいところ」から「行けるところ」へと変わってきていました。
結果として私が行ったところは教育学部ではなく私立の経済学部でした。ただその時点ではまだ教師への思いは無くしておらず、教職課程を履修して中学の教師を目指していました。
こだわることは

実習の単位をもらえば教員免許を取得できた大学4年の春に、実習先へ断りの連絡を入れて教職課程をやめました。
大学の事務所に実習を断った旨を報告し校舎を出た後、何とも言えない解放感を感じ、大きな伸びをしていました。
教師になることが嫌になったわけではありませんでした。大学生活を過ごすうち、更には今まで歩んできた道の中で「これは楽しそう」「こんなことがあるんだ」「これはどうなんだろう」等、色々なことを感じてきました。
中学のころ「天体・気象に関することを学びたい」、高校・大学のころ「教師になりたい」と目指してきたものは、目標からいつの間にか「しなければいけない」というこだわりに変っていたのかもしれません。
こだわることは悪いことではありません。ただ私の場合はこだわることにがんじがらめになっていて、自由な気持ちを見失っていたのかもしれません。
自分が目指すもの

若いうちから目標を作り、こだわり、目指すことは素晴らしいことだと思います。そしてそれを完遂できる人もたくさんいます。
ただ人生はその道一つだけでなく、いろいろな道があると思います。(私自身も最終的にたどり着いたところは、保育園の園長職でした)
将来は何も決まっていません。こだわり過ぎて苦しくなったとき、気持ちを楽にして周りを見ることも大切なのかもしれません。
hooexo著
因数分解の動画