高校時代は勉強に向き合う!?
高校受験に見事に受かり、自信がついて勉強に勤しむ毎日かと思いきや。受かったことが災いとなります。周囲の頑張りに一応はついていこうとするものの。時がたてば、全くと言っていいほどの体たらく。高校になまじ受かってしまったものだからという感じで相変わらず浮いた存在でした。心底勉強が嫌いで、根気強く物事に取り組むということが全くといってもいいほどに苦手なために、勉強もその日が終わればそれでいいという具合なのですから当然成績がいいわけではありませんでした。一応は放課後に補習授業は受けてはいました。でも取り敢えず参加してるというだけで、余り頭の中には入っていなかったですね。そんな風に日々を送ってました。宿題はやってはいましたが、テスト終わりに点数が低くて、補充授業を受ける羽目に陥ることもありました。高校1年の時などはありました。進級することで補充は無くなりましたが、新たな課題が浮き彫りとなります。
耳に聞えてくるみんなの声
私の進学した高校はというと、どちらかというと中途半端な高校でした。というのもそれ程頭がいい高校かといえばそうでもなく、では部活動が盛んかというわけでもないという高校だったのです。進学クラスもありましたが、どことなく緩い空気の漂う高校だったのです。自虐ネタですが、当時の私が受かってしまうぐらいでしたので。ところが、高校3年になった時から耳に入ってきたのは、周囲の変化でした。周りはというと当然のことながら、みんな高校生なんですから「夏季講習受けるでしょ」「補充の提出した」先生からの「こんなな成績じゃぁ、大学行けんぞ」などの声でした。みんないつの間にか本気モードに突入してシフトを変えていたのです。そんな波がみんなの中にあり、着実に物事を進めているのです。今やるべき勉強に取り組み始めていました。1人1人が着実に力を入れて、そして身に着けるために、真剣に考え、努力をしていました。みんな将来のことを真剣に考える始めていたのです。部活に取り組んでいた子達でさえ勉強と向かいあうようになり、全体が勉強、進学のためにという流れが自然と湧き出てきているのです。クラスの空気がどことなく変わってきていました。
あれっ!?何かが違ってる
そんな空気をクラスのみんなが醸し出していることに気がつかなかったのです。みんなが必死に勉強し始めたことに大幅に遅れを取って感じ始めました。「みんな真面目に補充とかの提出してるんだなぁ」と。この時点ではこんな風に思っていたのです。正直言ってかなりヤバい状況に陥っているにもかかわらずです。そこからは、流石にどうにかしないといけないと思い立ちかなり遅れてですが勉強を始めました。何とかくらいつこうと必死に勉強していましたが、今にしてみればすでに遅しでした。やるだけの事はやっては見たものの、そんなに甘いものであるはずがありません。しかも、高校受験での成功が私の根拠のない自信につながっていたように思います。高校受験と短期大学の受験は、そもそも全く異なるし、レベルも違うのですから。しかも、私の希望していた短期大学はそこそこ人気があったのです。そんな当時の私では、希望の短期大学には合格できませんでした。今考えれば当然の結果なのですが、なぜかショックを受けたのです。そんな甘い考えでしたが、宗教系の短期大学に滑り込みの合格でした。
こんなにも違うのか
今にして思えば本当に人生なめてかかってたなぁと考えるばかりです。何してたかと聞かれれば、何もしていないから、何もないと答えるしかない高校生活だったんだと。高校時代にもっと勉強していたら。短期大学に受かっていたら人生変わっていたのかもなと思うことはあります。就職も苦労しましたからね。そんな当時の私にも夢はありました。その資格を取るためにも、その短期大学に行きたかったんですよ。遅すぎましたね。「後悔先に立たず」「学生の本分は勉強」あの時の考えの甘さが今の私にのしかかってきています。この年になって本当に思い知らされますもん、もっと勉強しておけばよかったって。今でもその当時から残っている事と言えば、本が好きなので読書の習慣ぐらいしか。学生でも、今でもその時にしかできない事は存在しているんだなと感じます。特に勉強に関してはその時に真剣に取り組めば結果はどうであれ、自身の心の中に何かは残っているのかもしれないと。最近になって殊更感じるようになりました。
147著
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