
大学の推薦受験合格発表は英語の授業中に知った。
自信はあったが、緊張した。
ソワソワした気持ちは伝染し、クラスみんなも緊張して待っていた。
なぜなら、僕がクラスで騒ぎ立てていたからだ。
「落ちてたら、どうしよう」「あ〜緊張する」
言葉にすればするほど、自分を追い込み、緊張していた。
結果発表はまるかばつが書かれた紙を先生が渡してくれる約束だった。
12:45、先生が教室を出ていく。
職員室に結果を見に行ってくれた。
その瞬間、これまでとは異なる緊張感に襲われた。
私は先生の行方を教室と廊下の扉の間で、チラチラ見ていた。
そして、先生が職員室から戻ってくる。
職員室は英語の教室から1番遠く、長い廊下の直線のその先にあった。
しかし、歩いてくる小さな先生が緊張と恐怖で不思議と大きく見えた。
だんだん迫る先生。
鼓動の音で周囲の声はかき消されていた。
先生が教室に戻り、僕を前に呼び出した。
「はい。」先生からはそれだけだった。
廊下で1人で紙を開けた。
廊下に鳴り響く紙の音。
四つ折りになった紙を無心で開いた。
そして、目に映ったのは紙いっぱいに書かれた赤く大きなまるだった。
「はぁ〜〜〜〜。」極度の緊張から解放され、人生一番の安堵が言葉に出た。
これが私の大学受験のエピソードである。
少し、過去に戻りましょう。
私がこの文系大学を受験をしようと思ったきっかけは些細なことだ。
初めは、臨床工学技士になるために医療系の大学に進学しようとしていた。
先生や親にも相談済みで、着々と準備は進めていた。
しかし、高校3年生の夏、それはなんの予兆もなく頭をよぎった。
「起業がしたい」と同時に「人の命を背負えない」という衝動。
まさに青天の霹靂。
昔から大きなことを口にはしていた。
親戚の大きな企業の会長に「大きくなったら何になるの?」と聞かれ、
当時、小学生ながら「ビッグになる」そう言い放った。
それを高校3年生で思い出したのかもしれない。
そこから私の受験勉強の方法は大きく変化した。
みんなと同じような一般的な勉強から、推薦入試のための小論文作成に変わった。
担当の先生が着き、毎日お題を出してもらい提出していた。
環境問題や性別の問題、あらゆる問題について文字に起こした。
現状や課題、そして自分の考えをひたすら毎日書いた。
右手の小指側の側面が黒くなり、肌色が見えなくなるくらいに。
しかし、担当の先生は毎回「うん、よく書けてる。」
これしか言ってくれなかった。
初めは褒められているようで嬉しかった。
でも、肯定だけの評価ほど不安になるものはない。
自分なりに精一杯書いたつもりだった。
でも、確信的な自信はまだなかった。
そのため、担当の先生以外にも国語の先生にも依頼した。
言葉や文章のプロフェッショナルに頼むとかが一番早いと思ったからだ。
国語の先生からはお題を出してもらい、制限時間も設けて実践形式で練習した。
これが、まあ書けない。
時間という恐怖で頭が回らなくなっていたのだ。
ボロクソにしごかれ、それを毎日繰り返していた。
日々、成長を感じられ辛くもあり、楽しかった。
受験前日まで繰り返し、同じ作業を毎日行なっていった。
そして、ついに本番を迎えたのである。
推薦入試には本番の小論文以外にも志望理由書という難題があった。
初めのうちは自分で書いてはみたものの何から書いていいのかわからない。
もうダメだと思ったその時、中学校の先生を思い出した。
中学2年生から3年生にかけて担任だった国語の女性の先生。
とても聡明な方で当時委員長だった私を気にかけてくれていた。
帰宅後、すぐに私は過去の連絡文書を漁り、電話した。
そして、電話した2時間後には中学校まで足を運んでいた。
私が卒業した中学校からは移動になっており、隣町まで母親に送ってもらった。
3年ぶりに会っても久しぶりの再会という感じではなかった。
「どうしたの」第一声は心配の声だった。
文系の大学にしたこと、将来の夢、そして志望理由に困っていること全部さらけ出した。
「仕方ない教え子のためだ」そう言って、学校で3時間アドバイスを頂きながら
志望理由を書き起こしていった。
それでも、終わらずに家まで来てもらった。
時折、思い出話に耽ながら。
懐かしいと思いながらも大学生活にワクワクしている自分。
戻りたいと思わなかった自分はまだ子どもだった。
事前準備はしていたものの志望動機を書き終えるのに1日かかった。
今でも、先生には感謝してもしきれない。
急な思いつきで進路を変えた高校時代。
今となってはその時の自分に感謝している。
たくさんの出会い、経験を与えてくれたからだ。
計画的に進めることも大事だが、「直感に従うのも悪くない。」
そう思えた私の大学受験。
これからも様々な選択をしていくだろう。
そんな時はこの物語を思い出して、前向きに考えようと思う
H132著
因数分解の動画
