ルーツ

これは私の父親の話です。
父は6人兄弟の末っ子として、関東の片田舎に生まれました。
父の家系は、江戸時代初期から続く地主の家系です。
戦前はかなりの土地を保有していて、沢山の小作人を使っていたそうです。
そんな家柄のため、後継ぎがいなければ婿養子を取って家をつないできた歴史があります。
現に私の曾祖父と祖父、父にとっては祖父と父はどちらも婿養子でした。
父の兄弟は、5人の姉と夭折した兄が1人、そして父の7人兄弟。
5人の女子の後ようやく生まれた男の子も夭折し、父はようやく育った跡取り息子でした。
父は我が家の14代目当主でした。
それだけ長く続いている家系で、土地と財産を守るためには、頭の良い当主が求められたのでしょう。
婿養子だった曾祖父は慶応年間の生まれで、明治初期に東京医学校(現・東大医学部)を卒業した医師、祖父は一橋大学を卒業し、結婚前は満州鉄道に勤務していたという、当時としてはかなりの高学歴でした。
叔母の学歴

父は昭和10年の生まれ、戦前の生まれでした。
当然父の姉である私の叔母たちは大正時代、昭和初期の生まれの人ばかりでした。
まだまだ小学校にも行けない子供たちの多かった時代、叔母たちはみな一定の年齢になると、東京の女学校に行っていました。
今の大妻女子大学。
それが叔母たちの母校です。
当時の大妻は「良妻賢母」を育成する女学校でした。
関東の片田舎で、今でさえ東京まで2時間はかかる地域に住んでいて、娘たちを全員東京の女学校に行かせていたのですから、その財力がわかります。
そんな父の5人の姉は女学校卒業後は地元に戻り結婚をしているのですが、戦前に結婚をした3人の叔母は、みな分家として婿養子を取っていました。
そんな叔母の1人は、ずっと教師として仕事をしていました。
時代を考えれば、まさにキャリアウーマン、エリート女子だったのだろうと思います。
戦争に翻弄されて

そんなエリート一家にあって、父の最終学歴は高卒でした。
それには激動の時代が大いに関係しています。
そもそも夭折した兄を入れれば6人の兄弟がいる父は、祖父母にとってはかなり高齢での子供でした。
祖母は父が3歳の時に脳卒中で亡くなったと聞いています。
つまり父は母親の記憶がほとんどないのです。
しかし、曾祖母、父にとっての祖母は長生きだったので、父は大変な「おばあちゃんこ」だったといいます。
すでに長姉とは親子ほど年が離れており、父と長姉の子供、甥は年が1歳しか違いませんでした。
母を亡くし、祖母に育てられた跡取り息子です。
それは甘やかされて育ったのだろうと想像できます。
子供の頃の父は、いわゆるガキ大将で、言うことを聞かない子供だったと叔母から聞いたことがあります。
そんな父が11歳の頃、今度は祖父が胃がんで亡くなります。
それは終戦の1年後のことでした。
まだ小学生だった父が両親を亡くし、その後は年の離れた姉たちが父の面倒を見て育てくれました。
しかし時は終戦直後。
農地解放などにより、それまで所有していた先祖代々の土地の多くが小作人に払い下げられ、我が家は経済的に苦しくなっていったのだそうです。
戦後の苦労

戦後の農地解放といっても、土地・財産のすべてを失ったわけではなかったのですが、それまで裕福でお嬢様育ちだった叔母たちにとっては、何をどうしたらいいのかわからなかったのは当然のことです。
祖父を失い、相続も大変だったことでしょう。
特に直接父と一緒に住んでいた長姉にとって、財産をなくし小作も減り、自分の4人の子供を育てるのも大変なところに、小さな弟の面倒を見る余裕はなかったようです。
父は中学を卒業後は地元の高校に行っていたのですが、学校が終わって帰ってきても、父の分の夕食がないということも度々あったといいます。
私の実家は関東といっても戦時中は疎開先にもなっていたほどの田舎のため、都心に比べれば戦後の苦労もそれほどではなかったと思われますが、敗戦により財産が減ったことと、11歳という年齢で親を亡くした父は、どれほどつらい思いをしたのでしょうか。
ましてかわいがってくれた「おばあちゃん」も亡くなり、自分の家族の世話で精いっぱいの姉に遠慮をしながら育ったのです。
その頃の苦労について、父から直接聞いたことはありません。
しかし、誰にも頼ることができなかった父が、経済的理由で進路について悩んだのは間違いないと思います。
父の進路

私の父は、そのような環境で育ったことから、大学には進学しませんでした。
本当は大学に行きたかったのか、行きたくなくて行かなかったのか。
そのことについて聞いたことはありません。
良く父は「俺は学歴が無いから」と言っていましたが、娘の私から見ても、父は決して頭が悪い訳ではなく、しっかりと勉強していればそれなりの大学に行けただろうと思うことがありました。
もし戦争が無かったら、祖父母が早くに亡くなっていなければ、父の生涯は全く違ったものになっていたのではないかと想像しないではいられません。
そんな父に勉強についてうるさいことを言われた覚えは一切ありません。
しかし私が、小さい頃から大学に行くのが当然と思ってきたことから考えても、口には出さなくとも自分の娘にはしっかりと学歴を付けておきたいという父の思いを感じます。
きっと父は心のどこかで、大学に行っておきたかったという思いがあったのだと私は思います。
自分が親になった今、父の思いが良く分かるようになりました。
父のおかげで、私も姉もしっかりと大学を卒業でき、自分の力で生きていける仕事につくことが出来ています。
私も父がそうしてくれたように、自分の子供が将来困らないような経歴を持てるよう最大限のことをしていきたいと思います。
hkstydg著
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