家庭教師との出会いと不安の始まり

愛佳(あいか)は高校3年生。大学受験が間近に迫り、周りはみんな塾に通い始めていた。しかし、バブル崩壊後の不況の影響で、愛佳の家は経済的に余裕がなかった。「うちには塾なんて無理だよね…」とぼんやりつぶやくと、母も「まあ、そうね」と苦笑いを返すばかりだった。
そんなある日、母が「家庭教師をお願いしてみない?」と言い出した。相談したのは、愛佳が小学生の頃にお世話になった恩師で、彼女の友人がフリーで教えているというのだ。「その先生、すごく優しい人で、丁寧に教えてくれるって評判よ。負担も少ないし、試してみない?」母の勧めに、愛佳は少し不安だったが断れなかった。
そして迎えた初日。玄関のチャイムが鳴り、愛佳がドアを開けると、そこには短めの髪を後ろでまとめた、スーツ姿の女性が立っていた。「はじめまして、山崎理沙(やまざき りさ)です。今日からよろしくね」と、柔らかな笑顔を見せる彼女に、愛佳も少し緊張しながら「よろしくお願いします」と頭を下げた。
リビングに入ると、理沙先生はさっそく教材を取り出し、こう言った。「まずはあなたのペースに合わせていくから、焦らなくて大丈夫だわよ。今日はどこが一番苦手か、一緒に見ていこうね。」その穏やかな口調に、愛佳は少しだけ安心した。
孤独と向き合う日々

勉強は週に3回、夕方から始まった。理沙先生との授業はマンツーマンだから、わからないところをすぐに聞けて便利だった。ただ、学校の友達がみんな塾で一緒に頑張っている話を聞くたび、愛佳は自分だけ取り残されているような気持ちになることがあった。
「ねえ、塾通ってたらもうちょっと楽だったのかな…?」
ある日、授業後にぽつりとつぶやいた愛佳に、理沙先生は目を細めて言った。「うーん、どうかな。塾だと先生が一人で、質問したくてもなかなか聞けないこともあるよ。でも、私たちはじっくりできるでしょ?その強みを信じてみない?」
その言葉に、愛佳は少しだけ気が楽になった。でも、模試が近づくにつれて焦りが募り、友達が「また塾の夜講座が始まったよ」と愚痴るたびに、羨ましさを感じた。ある夜、勉強机に向かいながら「私だけ置いていかれてるのかな」と思わず涙がこぼれた。
試練と小さな自信

模試が近づき、理沙先生も計画を練り直してくれた。「このペースなら大丈夫。ちょっと大変かもしれないけど、一緒にやっていこうね」と言ってくれたけれど、愛佳はなかなか思うように結果が出せず、落ち込んでしまった。
「なんで、こんなに頑張ってるのに…!」
愛佳が机に突っ伏して泣き出すと、理沙先生は黙って隣に座り、背中をさすってくれた。「大丈夫だよ。結果が出るまでには時間がかかるもの。でも、ちゃんと進んでるから心配しないで」その優しい声に、愛佳は少しだけ気持ちが軽くなった。
ある日、理沙先生から出された数学の問題を、どうにか自力で解けたとき、愛佳は思わず「できた!」と声をあげた。「やったね!」と笑顔を見せる先生と一緒に、小さくガッツポーズをした瞬間、初めて少しの自信が芽生えた気がした。
その後の模試では、少しずつ成績が上がり始めた。「これなら間に合うかも」と思えるようになったのは、その小さな成功体験のおかげだった。
最後の追い込みと新たな未来へ

受験本番が近づくと、周りの友達はピリピリし始め、愛佳もプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。それでも理沙先生は、最後まで変わらない調子でこう言った。
「愛佳なら大丈夫。ここまでやってきたんだから、自分を信じて。」
12月からは特別に週4回の授業に切り替え、土日も一緒に計画を立てながら過ごすようになった。理沙先生との距離も自然と近くなり、勉強以外の話も増えていった。受験の疲れを感じたとき、理沙先生が差し入れてくれた温かい紅茶を飲みながら、何気なく話した将来の夢。そんな瞬間が、愛佳にとって心の支えになっていた。
「試験が終わったら何をしたい?」と理沙先生に聞かれ、愛佳は少し考えたあと「とにかくたくさん寝たいです」と笑った。その答えに、先生も大笑いして「それも立派な計画だね」と優しく言ってくれた。
試験当日、愛佳はポケットに理沙先生からもらったお守りを忍ばせ、深呼吸をして会場に入った。机に向かい、目の前の問題用紙をじっと見つめる。
「できることは全部やってきた。大丈夫。」
そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと鉛筆を握る。
すべてを出し切った後、会場を出た瞬間に感じたのは、冷たい冬の風と広がる青空だった。愛佳は空を見上げ、静かに息を吐いた。
家に帰ると、母と理沙先生が待っていた。
「どうだった?」母が心配そうに聞くと、愛佳はふわっと笑って言った。
「うん、やれることは全部やったよ。」
その言葉に、母も理沙先生も静かに頷いた。
lightmitsu著
因数分解の動画
