高校受験に対応した話し

自信がなく諦めてしまった道

もし、あの時あと一歩勇気を出せていたら、違う未来があったのかもしれない。

“たられば“を言っても仕方ないことはわかっているのですが、今でも少しだけ心残りな受験のエピソードがあります。

私の目指すもの

私は中学から本格的に始まった英語の授業や先生、洋画や洋楽などから様々な影響を受け、いつの間にか将来は英語を使った仕事に就きたいと思う様になっていました。

当時は英語の成績も比較的良く、好きだからこそ伸びているのだと思った為、やはり私の進むべき道はこれなんだと強く感じていました。

その頃から、私は地元の高校の中で英語関係に特化したクラスのある学校を見つけ、そこを目指したいと思う様になりました。

友達(以下、Aとする)も、私と同じように英語が好きで海外に興味があった為、同じところを目指していました。(実際のところ、洋画や洋楽はAから影響を受けた部分もあります。)

足りない点数

私はそこまで勉強ができる方ではなく、どちらかというと文系だったので、理系の科目は文系に比べるとまさに天地の差でした。

家庭教師をつけるも英語はすぐに身につくのに対し、数学は倍くらいの時間をかけているのにも関わらず、一向に成果が出ませんでした。

環境を変えてみようと、最終的に集団指導の塾に通いました。

そこには、自分と同じくらいの成績の子もいればもっと上を目指し通っている子もいました。

切磋琢磨し合って身になっていく事を両親も期待して通わせたのだと思いますが、やはり理系の壁を壊す事はなかなかできず、模試でも希望の学校は良い判定を出せずにいました。

決断の時

あっという間に時は過ぎ、いよいよ志望校を決める時期がやってきて、私はひたすら悩んでいました。

志望の学校には、模試の結果では安心できる様な点数ではなかったので、もしもここを受けるのであれば、“賭け“の様な形になってしまいます。

家の事も考えると、正直公立高校に受かってほしいという事もお母さんから聞いていた為、自分1人の思いだけでは決められないと思い、私は目標が“英語の道“から“公立高校に入る事“に変わっていきました。

自分の努力が足りないのは重々承知していましたが、受験の時点で諦めなければならない事が悔しかったです。

でも自分の力を、これ以上信じられなかったのです。

ちなみにこの時Aは私と同じくらいの成績でしたが、志望校を変えませんでした。

来たる高校受験

志望校を安全圏の学校に変更し、いよいよ公立高校の受験日。

初めて“受験“というものを経験する為、かなり緊張していました。

朝、受験する学校ごとに来てくれた中学の先生達の激励を受け、私は校舎に入りました。

合格したら、ここで高校生活を送るんだとイメージしながら廊下を歩く。

この時、元々目指していた学校の事が頭をよぎったのですが、今日はここに受かるために来たんだと思い直しました。

なんとか無事に受験が終わり、あとは結果を待つのみ。

今まで勉強最優先だった生活から少し解放され安堵したのと同時に、結果を知るのが怖くて仕方がなく不安な気持ちにもなっていました。

結果発表

いよいよ合否決定の日。

学校前に張り出される表を見に、私はお母さんと一緒に向かいました。

学校に着くと、同じ中学の子がお母さんと来ていました。

偶然会ったので、軽く挨拶してお互い近いところで合否の発表を待っていました。

表が張り出された時、私はお母さんと必死で自分の番号を探しました。

すると、私が最初に番号を見つけ、間違いではないかと何回か確認したのち、本当に自分の番号だったのでお母さんに伝えました。

お母さんは「やった!」と言いかけ、周りにも人がいることに気づいて口をつぐみました。

その後少し小声で

「良かったー番号あったね、おめでとう」

と言ってくれました。

私も喜びたい気持ちはありましたが、斜め前くらいにいた先程の同じ中学の子の反応がふいに目に入り、その気持ちを抑えました。

お母さんはそれに気づいていなかったので、平常心に振る舞っている私を不思議そうに見つめていました。

この時私は、ふとAの事が気になりました。

目標は同じだったのに

翌日、Aが合格したと聞きました。

凄いな、やっぱりAは本番にちゃんと力を発揮出来る子なんだと改めて尊敬の目を向けました。

するとAは

「点数はそんなに良かった訳じゃないんだよね」

と言いました。

合否発表後に、合格者には点数の開示を受けることができたので、自分の点数を知っていた私達は、お互いの点数を打ち明けました。

すると、私達の点数は非常に似通ったものでした。

この時私は、もし私もAと同じ学校を受けていたら…と思ってしまいました。

あの時自分の力を信じきれなかった事を悔やみました。

本当に“たられば“な話ではあるが、もしあの時…と考えてしまって、合格したにも関わらず、しばらくは変に気分が下がっていきました。

そんな時ふと、合否会場での光景を思い出しました。

そうだ、私はここで頑張らなければいけない。環境は違えど、この学校でだって好きな事はできるはずだと思ったのです。

Aはその後、語学一直線の道を進んでいき、沢山の経験を重ねて、英語力にも磨きがかかっていきました。

そんなAと会うたびに、正直羨ましいなと思う気持ちが溢れて来ていましたが、Aは自分の目標に真っ直ぐに努力できる子だったので、きっとどの道を選んでも彼女は成功の道を辿れたのだろうと思いました。

と同時に、私は私なりに私の場所で頑張ろうと思いました。

揺るがない心

今でもたまに、あの時自分の中で諦めをつけるのではなく、ほんの少し勇気を出して自分の気持ちを両親や先生に相談できていたら、何か変わっていたのかもしれないと思います。

今とは違う道を進む自分もいたのではないかと。

でも、どの状況になろうと揺るがない自分の目標を追い続けていれば、きっと叶えられたはずだとも思います。

私にはその揺るがない心が足りなかったのです。

この経験から自分には無理だ、とすぐに諦めてしまわず、本当に無理なのか?何か打開策はないのか?と考えたり、成功するイメージを持つことを今は大切にしています。

苦い経験でしたが、自信と勇気を持って闘うことを学んだエピソードでした。

154著

 

最短1ヶ月で動画編集スキルが身につく!動画編集スクール
因数分解

因数分解の動画