教師との話し

外国国籍、外見の偏見、苦しさの先に見えたもの

私25歳
教師をしています母は日本人
父はイスラエル人
のハーフです小学5年の時に
イスラエルの紛争が
酷くなり母の
実家にやって来ましたイスラエルでは
毎日どこかで
銃声の音や
戦車の音
人が泣き叫ぶ声
悲しい音に
溢れていました日本にやって来て
子供の笑う声
車の走る音
テレビの音
水道の音
幸せな音が
溢れていました生きている事を
実感しました
日本に来て
学校に行けることにイスラエルでは
紛争が酷くなると
閉鎖されたり
通学費が払えなく
自宅で勉強を
していました自宅で勉強を
するときは母が
先生で日本語も
教えてくれました小学校に登校すると
先生は私を見て「こんにちは。
担任の坂井です。
よろしくね。
あなたの瞳は
澄んでいて
とってもきれいね」そう言いニコット
微笑んだ学校ではすぐに
クラスメイトが
声をかけてくれ
友達ができた言葉も母が
教えていてくれた
おかげで壁は
できなかった中学校でも
それなりに楽しく
過ごせた
ただ私が成長し
背丈が延び
青年になると
回りの私を
見る目が変わっていった「近くに行っちゃだめ!」道を歩いているとき
電車を待っているとき
公園で友達と
話しているときヒソヒソと言われたり
怒鳴られたり
外見だけで差別
されることが
多くなった
祖母はその度に「ごめんね。気にしないで
貴方は何も悪くないのよ」と泣きそうな
顔で言ってくれた中三になり
進学の話になった時
正直怖かった
外見で判断されること
言葉の暴力日本に来た時は
そんなこと思わなかった
担任の先生に
相談すると「人間は皆自分の
物差しでしか判断が
できない人が多い
でもそんな人ばかりでは
無いことも知ってほしい
どうか、どうか君の綺麗な
心を閉ざさないでいてほし」私はその言葉に
救われた
そして自分を
支え見守って
くれている人たちの
顔が浮かび
幸せを実感した
進路を考えた時
自分のような
多国籍の子供が
心を閉ざしてしまわない
ようにサポートを
してあげたいと
思うようになった私と同じ国の出身
の友人に話すと「グローバルスクールの
先生とかどう?通って
いたんだけど、心の
よりどころだったんだ
そこでは色々な国や
言葉が溢れていた
皆笑顔で楽しかった」そう話す友人は
幸せそうだったグローバルスクールは
NPO法人が運営する
支援センターだった私はそこで子供達の
支えになろうと
決めた支援センターで
働くには
教員免許が必要だった
私は進学し資格を
取ることを
父と母に話し
受験する事に受験勉強の壁は
思っていた以上に
ぶあつかった日中進学をする
友人に勉強を
教えてもらい
夜間家に帰ってきて
その復習をする
そんな生活を続けた受験当日
担任の先生が
大学まで送ってくれる
事になった「おちついてやれば
君なら大丈夫!大丈夫!
僕は君が誇らしいよ」と言い門の前で
強く背中を押してくれたテストはそこそこだった
でも悔いはなかった「きたよ!!」祖母が小走りで
私の部屋に祖母の手には
大学の名前が
書かれた封筒が

祖母の声で
家族が部屋に
ドキドキしながら
中を確認
そこには
合格の文字が
春から勉強が
できることを
知らせてくれた

私はイスラエルで
産まれた
その事を悔やんだり
恨んだりしたことは
一度もない私にとって受験は
悲しみの連鎖を
なくしたいと
強く思った事が
きっかけでした人生はそんな
きっかけで
できているんだと
思います多国籍の子供達が
偏見の目で見られ
悔やんだり
恨んだりすることが
ないように
今は教師として
支える立場でいたい
と強く思っています。
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