専門学校へ進んだ話し

親のいうことを聞かずに進んだ道〜後悔しない人生のための選択

生い立ち

私は沖縄の小さな島で生まれ育った。

見回せば皆、知り合い、親戚。

そんな閉鎖された社会だった。

父も母も島の人間で、二人とも中学卒業後、父は島外の高校へ進学、母は京都にいる姉を頼って就職した。

しかし数年後、二人はそれぞれ島へ帰り、のちに結婚、私たち兄弟が生まれた。

小さな保守的な島だったため、もともと親族間で婚姻をする風習が強く残っているところで、私の親戚も、特に母方は遠縁同士で結婚している人が多かった。

そんな中で、父と母は全く血縁のない夫婦だった。

島にいる時はそれも当たり前と思っていたが、大人になってからはそれが異常なことであることを知ることになる。

そんな父と母の間には私を含めて4人の子供ができた。

兄、私、2人の妹だ。

私の家は基本的に農業で生活をしていた。

小さい頃は牛を買っていて、牛の世話や畑仕事を手伝うのが子供達の仕事だった。

父は陽気な人で、よく遊んでくれたし、口うるさいことは言わない人だった。

しかし母は、自分の考えを子供に押し付けるタイプだった。

それは母方の祖父母にも原因があると思う。

中学を卒業し、島から出ていた母を島に戻すため、祖父母は半ば母を騙す形で呼び戻した。

そして、後継の息子がいるにもかかわらず母を家に縛り付けていた。

そのように育てられた母もまた、私たちを縛りつけようとした。

兄弟

兄は男の子のわりには大人しい人で、母のお気に入りだった。

まだまだ古い考えが当たり前の小さなコミュニティでは、長男は大事に育てられる。

その上、大人しく優しい気質の兄を母はことに可愛がった。

それに対して私はおてんばで、動き回ることが大好きな子供だった。

言ってもなかなか言うことを聞かない私は、怒られる時はかなりキツく怒られた。

小さな私には、そうする理由もあったのだが、母は私の言い分など聞かず、押し入れに閉じ込めたり、外に締め出したりという罰を与えた。

私はそのことが後々トラウマとなってしまう。

妹二人は、そんな私を見て育ったためか要領がよく、あまり母に怒られることもなかった。

兄は両親の期待を一身に受け、将来を期待されて育った。

ご飯のおかずも、お弁当も、皆兄の好みに合わせて作られた。

兄との扱いの違いに文句を言おうものなら、私は即悪者だった。

母の思う通りのことをしないと、「言うことを聞かない子」だと怒られた。

兄は大人しく、妹二人はよく言うことを聞く。

「なんであなたは・・・。」

とよく言われた。

そんな母のお気に入りの兄だったが、両親の期待とは別に、大学進学は諦め、専門学校に行く選択をした。

両親は残念がっていたが、兄の選択を尊重していた。

そして数年後、私も進路を決める時が来る。

進路選択

中学に入ると、私は陸上部に入部した。

もともと体を動かすのが好きだった私は、部活動にのめり込み、成績が下がっていった。

そんな私に、母は部活を辞めることを強要した。

このように、母はいつも自分の考えを私に押し付けてきた。

将来の職業についてもそうだった。

女の子たちはみんな看護師になれと言うのだ。

小さい頃からそう言われてきた私は、初めのうちはそう言うものだと思っていたし、看護師になるのだと思ってもいた。

しかし、大人に近づくうちに、そのことに疑問を持つようになった。母のいいなりに、興味もない看護の仕事についていいのだろうかと思うようになった。

看護師になれば仕事に困ることがない。

それも一つの理由だろう。

だが、母は、

「女の子が看護師になれば、将来自分たちが介護や看護が必要になった時に、見てもらえる。あなたたちは看護師になって将来親の面倒を見るんだ。」

と言う考えを持っていた。

要は自分中心の考えだったのだ。

その考え方にどうしても納得のいかなかった私は、看護師にならないと言う道を選択することにした。

当時から興味があったインテリアデザインの勉強をする道を選んだのだ。

そんな私に、母は全く理解を示してくれなかった。

私は進路に関して母と大喧嘩をし、もう島には帰らないと言う決意で高校を卒業し上京した。

後悔しないために

高校を卒業後、専門学校で勉強し、母と喧嘩をしてまで選んだインテリアコーディネーターの仕事についた。

その後も母は、

「姉ちゃんは全然私の言うことを聞かない。妹たちはいい子で、言うことを聞いて看護師になったのに。」

と言い続けていた。

「姉ちゃんはいつも私に反抗してばかりだった。」

これも母の口癖だ。

でも私はただ、母に認めてもらいたかっただけなのだ。

自分で考えて選んだ道を、応援して欲しかった。

だからと言って、ただ母の言う形になると言うのも我慢ができなかったのだ。

いまだに母とはギクシャクしているが、私は自分の選択した仕事は自分に一番あっていると思うし、後悔していない。

今後、自分の子供が大きくなり、進路に迷った時は、温かく見守り応援していける母親になろうと思う。

 

hfluu著

 

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