専門学校へ進んだ話し

顔も知らない祖父と同じ仕事を選んだ僕〜母親の期待を裏切って進んだ道

長男として

僕は4人兄弟の長男として生まれた。

実家は、片田舎の村で農業をしていた。

小さい頃から、親の畑仕事をよく手伝わされた。

両親は、中卒と高卒だった。

特に母は中卒だったため、学歴に対するコンプレックスが強い人で、自分の子供たちに対する期待が大きかった。

当然僕は、小さな頃から大学に進学するように言われて育った。

兄弟は妹ばかりで、僕は長男で唯一の男だったから、親の期待はさらに強かったと思う。

田舎の農家だったので、家はそれほど裕福ではなかったが、親は僕のために学費を貯めてくれていたようだ。

今考えれば、僕を大学に入れたいというのは、ただの親の見栄のためだったのだろうと思う。

大人になってから、妹たちの話を聞くと、

「お母さんはお兄ちゃんばかり可愛がっていた。」

と言われる。

しかし僕はそんなこと感じたこともなく、当たり前だと思っていた。

裕福ではなかったが、遠足や運動会の弁当には、僕の好きな「エビフライ」が必ず入っていたし、周りに恥ずかしくない豪華な弁当だったのを覚えている。

成績

小学校と中学校の頃の成績は、特に良くも悪くもなく、「普通」だった。

と言っても田舎の小さな学校だ。

その中での「普通」は全国的に見れば大したことはない。

まさに「井の中の蛙」。

僕はそんなでも世の中で通用すると思っていた。

高校は家から一番近い、地元の高校に入学した。

普通科と商業科のある学校で、同じ中学の友人のほとんどがその高校に進学した。

ほんのわずかだが、商業科よりも普通科の方がレベルが高く、大学に進学するつもりだった僕は普通科に進んだ。

そう言っても田舎の、誰もがいく高校だ。

大学に行くにはかなりの努力が必要だった。

両親、特に母は、僕に対する期待は大きかったが、自分が中学しか出ていないため、大学受験というものは全くわからず、「大学に行く」ということ以外は全部学校任せだった。

塾などもなく、僕は学校の授業だけしか勉強することはなかった。

学校での成績も平均的なものだった。

当然、大学進学ということを考えると、東京の有名大学など手も足も出なかった。

進路選択

親に「大学に行け」と言われて育ったが、いざ進路を決める時が来ると、

「一体大学で何を勉強するのだろうか?」

と考えるようになった。

成績も並で、特に勉強が好きなわけでもなかったし、これといってやりたいことも決まっていなかった。

大した目標も信念もなければ、受験勉強は苦でしかない。

自分はどうするべきか考えた。

僕の父は、高校を卒業後、専門学校に行き、レントゲン技師の資格を取っていた。

そのため、農業の傍ら、近所の病院でも働いていた。

しかし、何を思ったのか、突然マッサージ師になるといって勉強し、自宅でマッサージの仕事を始めていた。

さらに父の父、僕の祖父は鍼灸師(しんきゅうし)をしていたらしい。

そんな話や父の仕事を見ているうちに、僕もそんな誰かの体を楽にできる仕事ができたらいいなと思うようになった。

特に、僕が生まれる前に亡くなった祖父がやっていたという「鍼灸師」という仕事に、僕はとても興味をもった。

結局僕は、鍼灸の専門学校に行くことを決め、大学への進学は諦めた。

将来の道

大学へ行かなかったのは、鍼灸師になるためという理由だが、本当は、受験勉強が辛かったからだ。

「お兄ちゃんが大学に行くと思ったからお金を貯めていたんだよ。」

母にはこう言われたが、僕は母を説得して、専門学校に進学することに決めた。

専門学校であれば、僕の成績でも簡単に入れたのだ。

僕はバイトをしながら生活費を稼ぎ、学校に通い、鍼灸師の資格を取った。

あの時、自分の入れるレベルの大学に進学していたらどうなっていたのだろう?

きっと、地方の聞いたこともない大学に進学し、大した会社にも就職できずにいたことだろう。

専門学校に進み、鍼灸師の資格を取った僕は、卒業後、都内の整形外科クリニックに就職し、リハビリスタッフとして働いた。

10年ほど働いた後、自分で鍼灸院を始めることになる。

整形外科で学んだリハビリ技術は今の仕事にもとても役に立っている。

マッサージや鍼灸で、患者の体調が良くなっていくのはとても嬉しいことだ。

無理矢理大学に進学していたら、きっと今の自分はなかっただろう。

鍼灸師の祖父、マッサージ師の父。

僕が今の道を選ぶのはまさに「カエルの子はカエル」というやつだなと思う。

だから僕は大学に行かなかったことは特に後悔していない。

hkstydg著

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