中学受験の話し

兄を追いかけて挑戦した中学受験~兄にはかなわなかったけれど・・・。

お調子者

僕は2人兄弟の次男だ。

4歳年上の兄がいる。

小さい頃はいつも、兄の後ろをついて歩いていた。

僕は兄が大好きだった。

僕たちは、しっかり者で優等生の兄と、お調子者の弟という感じだった。

兄はとても勉強のできる人だ。

中学受験の時も、偏差値の高い学校をいくつか受けたが、すべて合格をした。

僕は自分も兄と同じようになれると思っていた。

しかし僕は兄ほど頭が良くない。

両親もそれは分かっていて、僕に兄と同じレベルを求めたりはしなかった。

それは、うれしいような、さみしいような、なんとも言えない感じだった。

しかし僕は元来のんきな性格なため、あまり気にすることもなかった。

世間一般的には「お調子者」というタイプなのだろう。

兄の中学受験

僕が小学2年の時、兄が中学を受験した。

両親が共働きだった僕たちは、小学3年までは、学校が終わると学童保育に行っていた。

そして兄は4年生になった時から、学習塾に行くようになっていた。

有名進学塾の入塾テストに難なく受かり、いつの間にか私立中学を受験することになっていた。

その頃の僕は、中学受験がどんなものなのかも分かっていなかった。

なんでもできると思っていた兄が、必死に勉強しているのも良く分かっていなかった。

兄は毎日夜遅くまで塾で勉強していた。

夏休みや冬休みも毎日塾に行っていた。

以前のように兄と遊べなくなり、少し寂しかったのを憶えている。

その頃の僕は、兄のように勉強すれば、同じ学校に行けると思っていた。

僕はあまり良く分かっていなかったが、兄は結構偏差値の高い中学をいくつか受験していたそうなのだが、すべて合格した。

そして県内随一の進学校にも合格し、その学校に入学した。

しかし、それがどれだけすごいことなのか、当時は全く分かっていなかった。

兄の中学合格に沸き立つ中で「僕もお兄ちゃんと同じ中学に行く!」といったのを憶えている。

塾に入る

学童保育は3年生までしか受け付けてくれない。

両親は仕事で帰るのが遅く兄も部活で、学校が終わって家に帰っても誰もいない。

だから僕は4年生になると、兄がそうであったように、塾に行くようになった。

でも兄の行っていた塾は僕には難しいということで、僕は別の進学塾の入塾テストを受けた。

その塾は比較的細かくレベル分けされているため、自分にあったレベルでの勉強が出来た。

兄とは違う塾だったが、周りは中学受験を目指す子供たちばかりだったので、自然と中学受験の勉強をするようになった。

レベルは高くはないが、僕にはちょうど良かった。

学校から帰ると、母が作っておいてくれた弁当を持って塾に行く。

4年生の頃はそれ程でもなかったが、5年、6年と進むうちに、授業の時間も長くなる。

兄のように勉強はできなかったが、特に勉強が嫌いなわけではなかったので、塾が嫌だと思うことはなかった。

逆に、一人で家にいるよりはいいと思っていた。

学年が進むと模試も増え、志望校も考えなくてはならなくなっていく。

兄の受けた学校はとてもではないが僕の偏差値では太刀打ちができない。

特に親もうるさくは言わなかったので、自分のペースで勉強して、程よいレベルの学校を受けることにした。

中学受験、そしてその後

僕は、家から通える大学付属の私立をいくつか受験した。

兄のようにすべてに合格と言う訳にはいかず、なかなか合格ができない状況に、母はかなり心配していたようだ。

当の僕は、「合格できなくても地元の中学に行けばいいか」と気楽に構えていた。

今になって思えば、塾代にかなりのお金を費やしていた親からすれば、どうにかある程度の学校に受かってもらいたいと思っていたのは当然だ。

結局家から1時間以内の範囲の大学附属中学に合格することができた。

特に問題がなければ、エスカレーターで大学まで行くことができる。

大学附属の中学・高校は気が楽だ。

大学附属といっても他の大学を目指して勉強する生徒も多い。

両親は、大学は外部受験を進めていたし、僕も初めはそのつもりだった。

でも、僕の友人は皆のんびりしていて内部進学希望だったので、僕もその雰囲気にのまれ、内部進学した。

中学から大学までのことを思い返すと、高校受験も大学受験もなく、気楽で楽しい時間を過ごしたと感じている。

 

ただ、大学を卒業して社会人として数年たった今、仕事で辛いこともたくさんある。

あの時頑張って他の大学を受験していたら、もう少し苦労をしていたら、いったいどうなっていたのだろうかと考えることもあるが、そんなものは後の祭りだ。

hwingral著

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