国立大学を目指した話し

両親の背中を追って目指した国立大学。僕は両親を超えられるのか?

進路選択

僕は高校年の時、第一希望を両親の母校である地元の国立大学を目指していた。

と言っても、高2の終わり近くまでは、はっきりとした希望進路を決められずにいた。

だからとりあえず、親が出た大学以上のレベルを目指したのだった。

父は文系、母は理系だった。

理系の僕は、母が卒業した薬学部を目指すことにした。

僕の高校は、県内随一の進学校で全国的にもレベルが高いと言われていた。

僕の両親は特に勉強にうるさい訳でもなく、有名中学への進学に躍起になっていたわけではない。

たまたま小学4年の時に塾に行くようになり、周りが受験モードだったので受けてみたら受かったのだ。

全国でもかなり上位校で、毎年東大生を多く出している学校だ。

そんなレベルの中では、僕はさほど勉強ができる方ではなかった。

しかしみんな国公立、有名私立に進学をする。

当然僕が目指した大学も、両親の母校と有名私立と言われる大学だった。

受験勉強

僕は中間一貫校に通っていたので、高校受験はしていない。

しかし、中学受験の時は受けた学校にすべて受かった。

受験で落ちるという経験は全くなかった。

高校のレベルも高いので、普通に勉強していれば、両親の母校など簡単に入れると思っていた。

高校2年の終わりまで、はっきりとした進路が決まっていなかった僕が志望校を決めたのは3年になってからだった。

超進学校ということもあり、中学から高2までは塾に通うこともなく、学生生活を楽しんでいた。

しかし志望校を決めて挑んだ模試は散々なものだった。

まずいと思った僕は、高3になって塾に行くことにした。

学校が終わると塾に行き勉強する日々が始まった。

それは中学受験の時以来のことだった。

周りの友達も、高3になるとみんな塾に通うようになった。

そうして周りもしっかりと受験モードになっていた。

塾での勉強

学校の勉強は、高2の終わりまでに高校の範囲は全て終わっていたので、高3になってからは全て大学受験対策だった。

学校が終わると塾に行き受験勉強をする。

僕は両親の母校である国立大学を第一志望として、同レベルの私立、そしてすべり止めをいくつか受験することにした。

それは僕の高校では当たり前のレベルだったのだが、模試を受けてみるとなかなか思うような成績が取れない。

とはいえやるしかないので、とにかく頑張って勉強をした。

塾は授業の他に自習室での勉強も毎日していた。

高3になると塾でも模試が度々あった。

学校で受ける模試もあり、月に1~2回は模試を受けた。

しかし判定はなかなか難しいものだった。

「よくあの大学に受かったね」

僕は母に言ったことがある。

昔と今の違いがあるとはいえ、僕は両親よりも出来ると思っていたので、その両親が通っていた大学のレベルに自分が及んでいないことが何よりもショックだった。

受験追い込み

年末が近づき、受験本番が迫ってきた。

焦っても仕方がないので、とにかくやるだけのことをやろうと思って勉強をした。

センター試験当日、体調は良好だった。

しかしそれまでのセンター模試でもギリギリの点数が続いていたので、緊張していた。

「とにかく今までやってきたことを全部出せばいい」

そう思って試験に向かった。

センター試験が終わり自己採点をする。

結果は微妙なものだった。

とにかく2次試験に賭けるしかない。

2次試験の前には私立受験がある。

僕は私立薬学部の中でも上位にある3校を一般入試で受験し、滑り止めの1校をセンター判定で受験した。

滑り止めは何の問題もなく合格した。

一般入試で受験した大学はすべて無事合格。

そのうち一つは有名難関私立といわれる大学だ。

周りはその大学に受かったんだからいいだろうと言ったが、僕の目標はあくまで国立だった。

他の大学に行くことなど考えていなかった。

そうして国立の2次試験を迎えた。

国立本番

国立の2次試験の当日が来た。

さすがの僕も緊張した。

とにかく精いっぱいやるしかない。

結果はあまり思わしくないものだった。

「ダメかもしれないな。」

僕は落ちることを覚悟した。

その時は、もし落ちたら後期を受験するつもりだった。

結果は不合格・・・。

僕にとっては人生初の挫折だった。

生まれて初めて入試というもので不合格となり、しかも両親は受かった大学に合格できなかったという事実は、僕には許しがたいものだった。

最後のチャンスをかけて後期試験に挑むことにし、ラストスパートをかけた。

ラストチャンス

最後の希望をかけて後期試験に向けてスパートをかけた。

後期試験の日程は2011年3月14日。

あと数日で後期試験当日という3月11日。

東日本大震災が起こった。

地震の瞬間、僕は弟と二人で家にいた。

揺れは大きかったものの、幸いにも被害はなかったのだが、その時父は大阪に出張、母は都内の会社に出勤していた。

身内との連絡を取ろうとしたが、電話は完全につながらず、まだ中学生だった弟を怖がらせないように平静を装いながらも、内心は心細かった。

「後期試験はどうなるんだろう」

頭の片隅でそれを心配した。

翌日になり、帰宅難民となっていた母がやっと帰宅した。

「こんな状態で試験は無いだろうな」

思った通り、後期試験はセンター判定になるということになった。

センターの結果が思わしくなかった僕は、もうだめだろうと思った。

予想通り結果は不合格。

きっとこの年、僕と同じような経験をした受験生はたくさんいただろう。

国立大学に不合格だったため、浪人して再挑戦するか、私立に行くかを決めなければならない。

偏差値だけを見れば、国立も私立も同じレベルだった。

「もう一年勉強してチャレンジしても、同じレベルの大学に合格できる保証はない。」

そういう親の意見もあり、多少不本意ではあったが私立に進むことにした。

しかし、不本意ながら進学した大学の生活は予想に反してとても楽しいものだった。

1年の時は他学部の学生と一緒の教養授業だったため、様々な友人も出来た。

そして何よりも、生涯の伴侶となる女性とも出会うことができた。

あの時地震がなく、後期試験を受けて受かっていたら、彼女と出会うこともなく全く違う人生になっていただろう。

なので今となってはあの時国立に受からなかったことに感謝している。

 

hfluu著

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