専門学校へ進んだ話し

女に学はいらない!?男尊女卑の時代に育った母の話。

年の差一つの兄妹

これは私の母が40年以上前に経験したお話です。

私の母は、田舎の農家の長女として生まれました。

上には一つ年上の兄がいて、小さい頃は仲よく遊んでいたそうです。

しかしそれも兄が小学生になる頃まで。

あまり裕福とはいえない家庭だったため、母はいつもご飯はお腹いっぱい食べられなかったそうです。

そのかわり家の跡継ぎになる兄には十分にご飯が与えられており、年の差は一歳しかないにも関わらず、兄妹の体格差はどんどん広がっていきました。

そんな大きい兄と一緒に遊んでも、体力がかなうはずもありません。

もちろん当時小学生だった兄も力加減なんてできるはずもなく、2人は徐々に一緒に遊ばなくなりました。

格差の中で

母たちが子供の頃は男尊女卑の考えが色濃く残っており、特に母が住んでいる地域はその考えが顕著だったそうです。

 

“男の子は一族の後を継ぎ、女の子は早く嫁に出る……。”

“女に学は必要ない!”

 

昔からそう言われて育ってきた母は、進学のことなど考えられなかったそうです。

兄はとても成績が優秀。それもそのはず。

兄が望むものなら両親も祖父母も何でも買い与え、頭の良い従兄が家庭教師として呼ばれたりしていました。

一方母はというと、参考書一つ買ってくれません。

勉強するのにも何をするのにも不自由のない兄と、何も与えてくれなかった母との実力差が生まれるのは当然のことです。

それなのに親戚には何かと兄と比べられる母は、幼いころから扱いの差に不満を抱いていました。

 

成績優秀だった兄は、高校に入った頃から医学部へ行きたいと言い出すようになりました。

それを知った家族は皆、

「一族から医者が生まれる!」

と大喜び。

当然医学部へ行くとなると学費も相当かかります。

ただでさえ何も与えられない母も、兄の学費のために少ないお小遣いが減額。

そして両親とも外に働きに出ていたため、家事はすべて母に任されることになります。

「女は家事ができて当たり前。花嫁修業!」

祖母からはそう厳しく言われたそうです。

古いミシンを借りて

全ての家事を任された母。

掃除洗濯はもちろん、料理や裁縫も全部一人でやるようになりました。

 

ある日、農作業で父が破って帰ってきた服をミシンで縫って直している時、暇つぶしで自分の持っていた可愛い端切れを使って小物を作ってみました。

それは手のひらサイズのウサギのぬいぐるみ。

学校に持っていくとクラスの友人からは「私にも作って!」と大好評だったそうです。

そこから裁縫が一気に楽しくなった母は古いミシンを使って小物から服まで、作りたいものは何でも作るようになりました。

服飾系専門学校へ

母が高校3年生の頃。

“女に学は必要ない!”

そんな教えの家族が高校に進学させてくれたことさえ奇跡だった母にとって、進学は夢のまた夢でした。

しかし、母はどうしても好きな裁縫を生かしていきたい!とダメもとで両親に専門学校へ行きたいと相談します。

すると家族はあっさりOKを出しました。

たぶん家族は、難しい大学とかではなく専門学校は“花嫁修業の延長”だと思ったのでしょう。

そして、当時の女の子が進学する先と言えば服飾系一択のような時代。

いい旦那さんをもらっていい嫁になるためには、今でいう“女子力”をその専門学校で高めてこいということだったのでしょう。

複雑な気持ちでしたが、母にとってはとてもラッキーなことでした。

 

専門学校へは国語などの一般的な試験のみで入学することができました。

そしてその専門学校では技術成績の高い生徒は授業料が免除になるという制度がありました。

家族から少しでも負担を減らせと言われた母は、成績優秀になるしかありませんでした。

しかし元々才能のあった母は、最初から技術も高い方。

特段必死に頑張らなくても、授業料免除の資格は取れたそうです。

 

その頃になると、母にとって家はただ寝るだけの場所。

誰も話す相手はいないし、頑張っても誰かが褒めてくれるわけでもありません。

自作した綺麗な服を着て通学のためにバスを待っていると、何も知らない近所のおばさんから、

「そんな高そうな服を着て、親の金で街に毎日遊びに行く不良娘が!」

とまで言われ、学校の大変さよりも周りからの冷遇さが精神的に辛かったそうです。

しかし、母はこの言葉をバネに絶対に周りを見返そうと決心します。

(周りからは私の作った服は高そうに見えるんだ!)

酷い言葉もポジティブにとらえるようにした母は、周りから何を言われても気にしないように努めました。

母は強し!

専門学校を卒業した母は、全国でも最大手の手芸店で働くことになりました。

母の技術を学びたいと、店内の手芸教室にはいつも生徒が絶えなかったそうです。

母はそこの店に常連客として来ていた男性と結婚することになり、私が生まれることになりました。

私は小さい頃から母に“女の子だから”という理由で何かをさせてもらえなかった記憶がありません。

むしろ「女だからって尻込みするな!」と応援してくれるくらいです。

母の昔の出来事を知って以来、その言葉の説得力は凄まじいなと感じます。

kkyunmr著

 

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